私は相場師という職業病のため確率的思考という毒牙にかかっています。
病人を扱う仕事をしていればこの世は病人ばかりだと誤解してしまいますが実際にはこの世の大多数の人間は健康を維持しています。
犯罪者を扱う仕事をしていればこの世は犯罪者ばかりだと誤解してしまいますが、この世の大多数は犯罪など犯したことのない人たちばかりです。
職業病とは誰にでも起こってしまうものであり、それは人がいかに自分の日々の体験の中でしか生きていないかを象徴するわけですが、相場師である私の場合は確率的思考というものから逃れることは出来なくなってしまいました。
人生という意味では確率的思考は人として冷たいとして人間的評価が低くなってしまいがちです。
例えば酷い殺人事件が起きて妻が憤りを感じて怒っても私は淡々と極々低確率事象であるから基本的に大多数にとっては遭遇することは生涯無いことだね。と述べてしまいます。
妻は当然あなたは冷たい人ねえと怒りの矛先が私の方に来てしまいます。妻は確率的思考ではなく人間的感情を露わにして正義感で怒っているわけですので当然の反応であり、正しいことを述べているとは思うのですが私の口からまず出るのはこの確率的思考なのです。
そういうわけで一般生活人間関係においては注意しなければならない思考なのですが、相場を張るという意味では必須の思考となっています。
今日はこのことを考えてみたいと思います。
確率とは
まずは確率というものを考えてみましょう。
しかしもちろん私は数学者ではありませんので専門的なことを述べるわけではありませんし、その知識もありません。
単純に相場を張るという意味での確率というものの立ち位置というものを説明したいと思います。
確率とは要するに確からしさ、とある事象が起こる可能性を数値化したものです。
勝率90%の必勝法!!!などと喧伝されている売買手法販売サイトなどで踊る文字などは確率の話ですね。当然の話ですが10回中9回は勝てる必勝法だということですね。とはいえ総合的利益が出るかどうかはこれだけでは分かりません。
期待値がプラスマイナスというのも確率の話です。
数学的な基本的定義は調べれば分かることですので逐一述べませんが相場においては期待値がプラスになるということはその事象を継続すると総合的収益が出ていくということであり、期待値がマイナスにあるということはその事象を継続すると総合的損失が出ていくということになります。
確率的思考とは
私自身長年相場を張り続けていくことによって要するに理屈、論理度外視の値動きを見続けてきていわゆるこうであるならこうなるのであるといったものがない世界であるということを痛感させられ続ける毎にこの確率的思考というものが養われていきました。
確率的思考とは要するに何事も確率で考えるということなのですが、株価が上がるも下がるも確率で決まっており、ただいま目の前の取引における結果が高確率となるものなのか低確率となるものなのかはいわゆる確率の概念に依存する、つまりその確率数字に応じてアットランダムでどちらかが出て行くものであるという思考で値動きを考え行動するということになります。
相場でこの思考になれた投資家というのは非常に強く上手い売買をするようになります。
どんな素晴らしい銘柄選択よりもどんな素晴らしい売買手法よりも投資家がこの思考になっているかどうかの方がずっと大切です。
何故ならどんな素晴らしい銘柄選択をしても上がり続ける株価も下がり続ける株価もないという意味ですべては売買タイミングであり、確率的思考で迅速処理をし続けない限り継続した利益は出ないからです。
どんな素晴らしい売買手法を使っていたとしても確率的思考で今回は低確率の裏の目が出たのだからさっさと見切らねばならないと思考出来なければ正しく実践継続できないからです。
確率的思考は相場では顕著に有用であるということになります。
結果より過程を大事にする
確率的思考の具体的思考というのは結果より過程を大事にするということになります。
高確率事象、低確率事象、結果としてはどちらか一方が実際に出て行きます。
しかし過程においては高確率事象においてのみ行動していくということです。
この思考によってやるべきことに集中しやるべきことが適切に出来るようになります。
結果にこだわらなくなるのですね。
すべての事象は確率事象ですから利益が出ようが損失が出ようが、その結果は自分の努力のたまものでもなければ才能でもないのです。
高確率事象に賭けるといった課程のみを愚直に継続するということは努力のたまものかもしれませんし才能かもしれませんね。
確率的思考は諦観である
最後までお読みいただきありがとうございました。
確率的思考を哲学的に言い直せば諦観ということになるでしょう。
自分に結果としては起こるかもしれないし起こらないかもしれないが、恐れずに挑戦し続け、適切に実践するその課程を大事にしながら出た結果を甘んじて受け入れる。
その思考は実は諦観なのです。
諦めの境地、物事は何をしてもしなくてもなるようにしかならないのだから今日できることをやる最善を尽くそうとする超然とした思考、それは実は確率的思考なのです。
相場を張る上では非常に有用な思考ですのでぜひともあなたも身につけてください。