相場を張る上でああだこうだと後付け講釈する方々で満ち溢れている相場界ですが、そういうものが今日も相変わらず無くなることなくむしろ偉そうに相場を語っている現状は嘆かわしい限りということになります。
相場は残念ながら理屈ではありません。
結果が全てです。
結果を出しているなら、出し続けているならその相場師は優秀ということになり、いくら理屈を理路整然と述べていたところで一銭も稼げていないならその相場師は素人以下ということになります。
私が評論家というものを嫌う最大の理由は自分自身で結果を示すことなくただただ語るだけの人物たちだからです。
偉そうに理屈を宣うからには当然ながら自分自身結果を残していて欲しいということですね。
別に大谷選手ほどの偉大な結果を残していなければならないとは言いませんが、プロ野球選手にはなったとまではいいませんが、少なくとも高校野球でレギュラー張っていたくらいのレベルでは自分でもこなしていて欲しいものであるというのが実践家を重んじている私としては最低限の自己主張して良い結果です。
何故相場評論家はいなくならないのか?
まずはこのことをじっくり考えてみないといけないのでしょうね。
理屈といったものを語るときそこに一理でもあればそれは理屈としては評価され得るということです。
相場にもまた何理でも結果論であれば語れます。
ドル円がこれから円安になっていくか円高になっていくかその二択だけでもこれこれこういう理由で円高になる円安になるという理屈がいくらでも語れそれぞれ一理あるものになります。
つまり語るだけなら本当に易いのです。
従って相場評論家というものがいなくなることは永遠にないのですね。
そしてそういった理屈を求める投資家も後を絶たないということもあります。
こちらは私がいつも言っている投資家の心の問題となります。
多くの投資家たちはどんな銘柄がよいかどんな売買法がよいか相場の先行き、経済の先行きといったものをあまりに気にしすぎています。そしてそういった知識がないと相場では成功できないと信じ込んでいます。
従ってその不安を補填する者たちとして相場評論家といったものがいてそういった人たちに翻弄されて多くの投資家たちは今日も自分の不安の解消や自分の考えへの補強にしてしまっています。
理屈は必要ではない
相場を張って利益を継続的に出すために理屈は必要ありません。
日銀の方針がどのような方向性にあるのか知る必要はありません。
とある企業の業績推移がどうなるか把握する必要はありません。
日本経済がどうなるこうなる相場がどうなるこうなるすべての理屈は必要ありません。
このことを理解できるかどうか?
すべての投資家たちに問われていることはこのことのみなのですが、残念ながらほとんどの投資家たちはそれを理解することはなく今日も日銀がどうたらこうたら経済指標がどうなったああなった需給動向がどうたらこうたらとやり続けています。
経済学者を目指しているならもちろんこういったことは必須知識となって身に着けていくべきことなのですが相場師として利益を出し続けるためにはこういった理屈は必要ではないということを理解しなければならないのです。
実際理屈を知らなくても今日もドル円だけを売買して生活している投資家もいますのでそういう人たちの存在がその生き証人ということになりましょう。
必要なことは売買の一貫性
投資家として必要なことは売買の一貫性のみです。
いつどういう状況になったら仕掛けるのか手仕舞うのか?
ここに一貫性がなければ駄目です。
一貫性のある売買とは同じ方針や考えによっている売買ということになります。
つまり今回はこういう方針で買ったが次は別の方針で買うなどということをやってはいけないということです。
ここに含まれることは投資家の心の問題にも通じます。
喜怒哀楽どんな感情を抱いたとしても売買の一貫性を犯すような行動を犯してはいけないということです。
どんな理屈を学んでもそこにこだわって自分の売買の一貫性を犯すような行動を犯してはいけないということです。
一貫性のある適切な売買を継続出来ればその売買が過去残してきた結果と同程度の結果が将来出る確率は高いということになります。
理屈は有害である
従って私は理屈は有害であるという強い言葉を使うわけですね。
相場を張る上でも何も考えずに売買して上手く行くわけではないことはその通りなのです。
そういう意味では理屈というものは一定の必要性を帯びているように思えてしまいます。
しかし理屈というものはどうしてもその理屈の正当化が目的となってしまう、つまり屁理屈となりやすいのです。
そしてそれを盲信しやすいという投資家心理もあります。
一理あることである故にそれが全理であるかのごとくに錯覚してしまう投資家心理によって売買に一貫性が失われてこだわりが生じてしまうということですね。
故に理屈は有害であると常日頃から頭に入っていた方が良いということになるわけです。
トランプ大統領に学ぶ実践家たれ
最後までお読みいただきありがとうございました。
最近は理屈っぽい人たちが多くなりました。XやらYouTubeやらでもそういったものばかりです。ある意味では科学全盛時代となっている現代において理屈がすべての科学というものを盲信し固執しエヴィデンスがないものは一切駄目とみなす人たちが少なからずとなってきています。エヴィデンスといっても一理でしかないことなのにそれが真理であるかのごとくに宣う人たちで満ち溢れている時代が現代の病巣です。
トランプ大統領というものを取り上げれば分かりますね。
彼は政治エリートたちから見たら素人政治家に見えるのでしょう。
実際彼の経歴を見れば政治エリートではなく実業家ですからね。
従って彼はあまり理屈を捏ねることをしないのです。
ほとんどのエリート連中が理屈を捏ねまわして結果を残せない人間たちである一方で彼はただただ結果を残し続けてきました。しかしその政策評価をマスメディア以下反トランプを述べる人たちは評価せず彼の人格批判ばかりに興じて世界がおかしくなる米国第一主義で保護主義となって古い米国に戻そうとしているとかいった屁理屈を捏ねるだけなのです。
理屈を述べる前に行動する実践家を目指してくださいね。
トランプ大統領はそういった人物故に米国の繁栄はこの4年間彼の身に何事もなければ間違いない結果となるでしょう。実際ロシアもウクライナもイスラエルもイランも沈静化に向けて平和裏に進められつつあります。米国大統領の方針が変われば世界が変わるのが現代の世界という自明の理なことが改めて証明されようとしています。
私はもう大統領選前からこのことを述べてきましたが実際に事実が生じて初めて認識する人たちばかりの中で事前に真理を認識できてしまっているのは理屈ではない実践の積み重ねによる直観的なエヴィデンスのない不確かな確実性というものを掴み取る能力が養われている実践家だからです。
評論家は自己主張するだけです。自己正当化だけです。言葉を弄するだけでその言葉に一切責任を持ちませんから間違っても淘汰されません。
しかし実践家は自己実現しなければなりません。そのために自己否定もしなければなりません。言葉を弄する前に行動あるのみですべてが自己責任であり、大きな間違いを犯したら確実に淘汰されます。
この大きな違いを認識しましょう。そして理屈は有害であるといった思考を根底に持って何よりもまず実践に明け暮れましょう。
それが口だけ番長ではない素晴らしい人間としての態度です。