日々感染者数字を飽きもせずカウントして報道する自己反省なきマスメディア以下、結局感染症学者の研究のための風邪ウイルス感染分布データを税金で収集しているだけで結局感染阻止など出来なかったし、人間とウイルスの長い関係の歴史を見れば容易に理解できるように当然感染阻止など出来るわけもなくこれからも何度も何度もパンデミックになりながらやむを得ない淘汰されてしまう適応出来なかった個別種がい続けながらも人類全体としてはウイルスとの共存をして生き残っていくといったことが起こり続けるということになります。これが人類のこれまでの風邪との付き合い方であったし、これからも変わらぬ付き合い方であるべきなのですね。
ですから常識としてこれを認識している国民は不安と恐怖を煽ることもなく淡々と自分のできる最大限の対策を施しながらウイルスと共存する正道を最初から認識しているということになります。
調整している米国市場
NYDOWは調整局面を迎えていますね。
前回述べた通り目先35000ドルでの攻防戦が続いています。
ロシアのウクライナ侵攻によって直近安値を大きく割れるもののその後の停戦報道に反応して大きくリバウンドするといった一喜一憂相場が起きていてボラティリティが大きくなっています。こういう局面では短期で何度も繰り返し利益を積み重ねられますので相場師としては有難く頂いているわけですが、方向性としては米国ではすでに新型コロナウイルスCOVID-19はウイルス風邪として認識してコロナパニックからの脱却が進んでいます。実際FRBは緊急事態は脱したとしてテーパリングを始動し、3月には利上げが予測されています。緊急的な対策をした割には新型コロナウイルスは緊急ではなかったことが判明した故にむしろその過剰な対策によってインフレが過熱し、その抑制に目標が移ったからです。
日本は相変わらず異次元金融緩和を維持せざるを得ない状況、要するにデフレ状態であり、それなのに財政出動も一時的で、コロナパニックは継続ということで景気が低迷しこの状態だとコストプッシュによるデフレ脱却といった結果としては望んだものの中での最悪のシナリオが採用されるリスクが出てきました。
ウクライナ侵攻による地政学的リスクによって原油高や金高など商品市場は活況ですが、原油高は日本経済にとっては全体的にマイナスですからいよいよ厳しい情勢となりつつあるといったところですね。
いずれにせよ調整している米国市場の行方、いわゆるレンジ相場でこのまま35000ドル台の攻防戦をやり続けることが出来るか、それとも底割れして暴落していってしまうのか、これからの経済政策方向性としては上値は重いと見るのが妥当ですから当面は大きな値幅調整がこれからやってくるのかそれともレンジ相場でい続けるのかの判断が目先大事な判断ということになります。
命は大事だが命は必ず滅するものである
左寄りな方々はどうしてもその絶対平等主義、命至上主義となる机上の理想論からこのことをすっかり忘れてしまっている方々が少なからずですね。
新型コロナウイルスがきっかけで合併症を起こしてお亡くなりになった方々も尊い命であることに間違いなく、救えるのであるなら出来得る限り救うべきであるということはその通りなのです。
しかし命は必ず滅するものであるという観点から行くと新型コロナウイルスがきっかけであれインフルエンザがきっかけであれどんなウイルスがきっかけであれ、ただの軽い風邪からこじらせたきっかけであれ不慮の事故であれ何であれ、命が滅することがあるということを完全に無くすことは出来ないのです。そして今日かもしれないがいつかは自分自身にも起こることなのです。
この当たり前の真理を忘れているかの如く感染阻止しなければならない、コロナによる死者のことを軽視するなとか言い出すわけですが、疾病はその他無数にあり、新型コロナウイルスよりももっと死亡リスクの高い怖い疾病はいくらでもあり、すべての命は平等であり守るべきであるが、どうその折り合いをつけるかという点で新型コロナウイルスだけに過剰にも比重を高めている現状はむしろその他の病気と共に生きている人たちに対して不平等ではないかとそういうことを述べる方々には述べておきたいと思います。
ここで考えるべきは命は大事だが必ず滅するものであるという当たり前の真理をもう一度反復しなければならないということですね。
幸い新型コロナウイルスは仮に感染してもほとんどの人たちが無症状で症状が出ても大したことなく生還してしまう疾病の中では死亡リスクがあまりに低いことが判明しています。
故にもう特別扱いはせずワンオブゼム、数多の疾病の中の一つに過ぎないといった扱いに社会全体、医療界においてもすべきなのですね。
その象徴的な現状ですぐ出来る法改正が指定感染症第五類に分類するということなのです。
もう何年も前から私が主張していることですが、それをして初めて日本政府がようやくコロナパニックから脱却できたと証明できるということになります。
従ってそこだけを私は見ているわけですが、残念ながら現状こんな簡単なことを実践できずにいてコロナパニックを継続して、コロナ感染者よりもずっと多くの人たちが別の原因で死亡したり、経済苦になったり精神苦になったりしているわけですね。
私はもう何度も何度も何年も前から言い続けていることですから飽き飽きなさるかもしれませんが、結局真理はそこにしかなく、それが実現するまで反復し続けるしかありません。
相場概況
相場はコロナパニック相場ということになりますね。
基本的にはコロナパニックによって恩恵をもたらす業界は買われ続け被害を被る業界は売られ続けるということになりますが、こちらも前回述べた通り、バリュー買いのグロース売り、3月期末の配当権利取りに向けての動き程度しか出来ないということと新興市場がいち早く大崩壊しているというところでしょう。
象徴的銘柄は昨年いくつか挙げてありその手の銘柄はしっかりトレンドを築いており相場師という意味では売りでも買いでも利益を積み重ねやすいといった実感を持っています。
しかしいずれにせよ今年は基本様子見姿勢が吉となる相場となる確率は高く現状はその通りの様相となっておりますので私の売買姿勢に変化はなく、着実に利益を積み重ね続けているということになります。
日経平均株価は目先下落トレンドに移行していく可能性が高いかなといった現状ですね。
実際買いよりも空売りの方が含み益が乗りやすいことが私自身の売買実践によって証明されておりチャートもレンジ下限で何とか保っている現状ですが下値は切り下がり続けており26000円台を大きく割れて下げていくと急激な値幅調整局面がやってくる可能性が高まっていきます。
その場合は基本空売り姿勢に転換して売り玉を積み増し続けることを基本戦略と思考転換しなければなりませんね。
ロシアによるウクライナ侵攻動向次第となりますね。こちらに関しては安易なプーチン大統領批判がグローバルマスメディアによって喧伝されていますが、いわゆる単純な二元論の善悪で欧米が善でロシアが悪とすることは大間違いで、プーチン大統領は強かですからウクライナ侵攻などという厳しい実践を敢行したということは実はかなりロシアの国益を削ぐ危機に陥っていたと私は見ております。
この辺のエネルギー権力争いは膨大な利権が懸かっていますから熾烈な争いとなり、欧州においては長年の国家間での騙し合いの権力争いの歴史があります。今回も同様な展開ということになりますね。
私はバイデン大統領の体たらくが導き出した侵攻だと見ておりますが、愚かな大手マスメディア以下はただただ純粋に単純に戦争してはいけないプーチン大統領は酷いの大合唱なのはいつものことながら苦笑せざるを得ないといったところですね。
相場という意味ではこれでFRBやECBの利上げ加速の抑制になるのかどうかということですが、私は現段階においては淡々とインフレ過熱を見て利上げ方向性に進み続けると見ております。そしてロシアのウクライナ侵攻情勢がどうであれその判断が経済の適切な方向性にとっては大事であると考えています。
日本は米国の属国ですから政府は米国政府がどういう体制であれその言に従うだけであり、それは岸田総理の米国政府に沿った情けない発言を見ていれば分かりますね。
ただこちらは岸田総理に責任はなく、誰が総理であってもそう言うしかないことを言っているだけの話です。ここは戦後日本政治の何も変わらぬ誰の眼にも明らかな闇ですが、依然として改善されていない現実です。
そして経済的にも日本政府は消費税減税することもなく売国政策に邁進していますから米国市場に連動しながらの動きで相対的に弱い動きしか出来ないというのが現実です。
市場の考えに従え
最後までお読みいただきありがとうございました。
ダラダラとくだらないことを述べ続けましたが、相場師としては相変わらず容易です。
上がるものを買い下がるものを空売りなさい。
上がると思って買ったが下がったら見切りなさい。
下がると思って空売ったが上がったら見切りなさい。
ただただどんな相場付きであれ自分の手前勝手な考えではなく市場の考えに従って実践継続していれば酷いことには決してなりません。
そして酷いことにならないようにし続けていればそれだけで最終的に生き残り続ける、つまり着実な利益を積み重ね続ける投資家であり続けることになります。
何度も何度も反復してくださいね。
相場がどうなるこうなると私の考えは述べましたし、考えること自体は誰しもが考えることでありそれぞれの考えを持つことは自由なのです。
しかしそれを相場実践に持ち込んでは決していけない。
自分勝手な思い込み、それが正論、真理であったとしても相場はその方向性に動くとは限らないのです。
この認識が本当に大事であり、決して忘れてはならず、忘れてはいないということを証明する適切な実践を継続しなければならないのです。