天皇陛下のご存在はこの世界唯一の国家元首という圧倒的価値です。
これは世界各国の王室すべてにおいても受け継ぐことが出来ていない唯一無二のご存在なのです。
だからこそ日本は天皇というものを戴く素晴らしい国であると評価されているという側面があるわけですね。
現代合理主義、功利主義から見れば、なんで皇室を我々の国税で食わせて行かねばならないのかといった意見も出てくるわけですね。
国民の言うことを聞かない生物学的には同じ人間を養う必要があるのかと考えることは絶対合理主義に染まった少なからずの現代人にとっては大いに納得行く話なのです。
眞子内親王の御成婚について
私は今までこのことを一切触れてきませんでした。
それは何故か?
天皇というものと題して過去このブログで述べたことがすべてだからです。
基本的唯一大事なことは血統であり天皇、そして皇室におられる方々の人格や能力、言動などはその存続においてなんの考慮もすべきではないと考えているからですね。
恐らくはここが多くの現代人の方々には理解不能となるだろうと思うのです。
実際天皇の民のかまどの話が好きな皇室を敬愛する日本人は多いのですね。
私も好きですが、その一方で暗愚となった天皇も歴代においてはおられたし、皇族の方々の様々な不祥事によって皇位継承危機となる時代は何度も何度もあったわけですね。
もちろん皇統を途絶えさせようと画策する人物も現れました。
今回の眞子内親王の御成婚において私の基本的考えは眞子内親王が相手の方の母親が犯罪者となり得るようなことをしてきた、彼氏への借金返済拒否、近親者に自死が多い、遺族年金の不正受給疑惑、夫となる本人も無職で借金返済していないのに米国留学費用の捻出が出来てしまう、何故日本の司法試験も通っていないのに米国の司法試験を受けるのか、さらに経歴詐称疑惑やいじめ問題等々、皇族とはどう見ても釣り合わない人間性であるといった現実に対してすべてを飲み込んでもなお結婚したいという想いが眞子内親王におありになるなら認めるしかない、何より父である秋篠宮様がそう苦渋の決断をなされたなら何も言うことはないという考えです。
現状ではこの意見は大いなる批判となってしまい無理やりにでも破談にせよといった意見の方が多いようですが、敢えて怖れながら厳しく述べるならこのような異常な事態に陥ってしまったのは秋篠宮家の自業自得ということになりましょう。結局皇族でありながら皇室のあり方の基本を忘れてしまっていらっしゃるのではないかと思われるということになりますね。
自由を求めれば必定
皇室に自由はありません。
それは天皇という世界唯一のご存在を永続させるために皇室というものがあり続けているからです。
この是非に対して皇室の方々我々国民も含めてどういう考えがあるとしてもこれがこれまでの史実なのです。
従って結婚は自由だ教育は自由だとやった時点から少しずつ現代の皇室も変わってきてしまいました。
現代的に自由を認めるとしてもどこまで認めるかという話においてそこが際限なく自由を求めるようになってきてしまっているということです。
この究極は皇室解体となりましょう。
自由を求め尽くした先には皇室解体しかないのです。
それは天皇という皇統が途絶えるということも意味します。
いずれにせよ皇室に自由は基本的にないという原点に戻るべきでしょう。
皇室の唯一無二の目的に戻るべきでしょう。
いかにして皇位継承を永続し世界唯一の天皇というご存在をお守りしていくかということに専心することが皇族の方々にとっても我々国民にとっても大事であると私は考えています。
そのためには皇室に対する自由の規制基準が必要となると思います。
秋篠宮様は自由を求めすぎた余り、御自分を含めた御家族に対してのきちんとした教育、皇室という御存在の本質への理解を薄れさせてしまったのではないかと思われるところが非常に残念に私は思います。
自由を求めれば必定、それは行き着くところまで行ってしまいがちなのですね。
伝統とは何か?
今問われていることは結局伝統とは何なのかという問題に尽きるのだろうと考えます。
伝統というものへの価値をどう判断するかが問われているわけですね。
例えば歌舞伎などがあります。
こちらも基本世襲制によって長らく継承してきた伝統芸能ですが、養子縁組するなりして何とか現代まで生き残っているものと言えるでしょうね。
こういったところに生まれた人たちも常にこの伝統を守るという運命をどうとらえるか、子供のころから多くの葛藤があって受け継ぐ者、反発して出ていく者、色々といたということになります。
最終的に決断するのはその本人であり、このことに関しては皇室でも例外なく、皇室に生まれた運命に対してどう受容するのか、反発するのかはそのご本人次第であるということになります。
しかしいずれにせよそこで考えるべきは伝統とは何なのかということに行き着きます。
長らく継続してきた歴史がある、それを自分の代で途絶えさせる決断をしてよいのか?
眞子内親王に対しては御自分が行うことによって天皇の権威を傷つける、皇室への少なからずの国民の敬愛を失わせることに対して本当に良いことなのかと考えることが出来るか?
その判断基準はあるのか?
伝統において考えるべきはそこなのでしょう。
将来の皇位継承が危ぶまれる中で数少ない御皇族の一人であられる眞子内親王が完全に皇室から脱却して米国に行ってしまうということは皇統というものの伝統よりも個人の自由を求めた結果であろうと思いますし、個人主義自由主義な米国に憧れるのも分かり、その決断は受け入れるしかないのですが、皇統という伝統の価値を余りに低く見積もっていらっしゃるようにお見受けしてしまうのはやはり自由というものへの憧れが強すぎた、伝統というものへの深い理解が無かったと考えざるを得ないのでしょうね。
自由はそれほど良いものではない
自分には自由はないと考えている人にとってはあまり響かないかもしれませんが、自由はそれほど良いものではありません。
何故なら自由の代償には自己責任が伴うからです。
簡単な例で述べれば親に養われている子供は皆そうですね。
子供は親の言うことに基本従わなければなりません。
それが理不尽な虐待などにもつながっておりそれは社会でなんとか対処すべきことですが、多くの家庭においてはそうではなく教育、しつけといったことになります。
将来大人になって社会で生き抜けるようにその基本を自分の経験から伝えていくために親には子供を教育していく責務があるわけです。
しかし子供にとっては自由に好きなことが出来ずに不満を持つかもしれませんね。
その子供の気持ちも分からないではないですが、そう考えているならその子供はまだ自由の代償を知らないということになります。
親が子供の代わりに子供の言動に対しても責任を持っているからこそ、子供はある程度自己責任が放棄される一方で自由が規制されて親に従わなければならないわけですね。
そして大人の社会でも同様です。
何でもかんでも自由となったら完全無法地帯となって社会は酷い状況になります。
そのために日本においては法治国家として法である程度自由を規制しているわけですね。
もちろん法律にも限界がありますし、おかしな法律や解釈などもありますが、それでも概ねそれを我々国民一人一人が認識して守ろうとすることによって自由は一定程度束縛されるが安定した社会を安心して生きられるわけです。
自由はそれほど良いものではありません。
自由を求め尽くした先に行き着くのは常に完全自己責任の冷酷な環境となるということは誰しもが理解しておくべきことでしょうね。
どんな思想をお持ちであっても皇室を守る義務が我々国民にはある
最後までお読みいただきありがとうございました。
そして最後まで現代人の方々の少なからずから批判を浴びるだろうことを述べてしまうようですね。
複雑性PTSDでありながら米国に行けるということには大いなる疑問がありますが、眞子内親王が仮に米国に旅立たれても我々の税金で元皇族としての品位を保ってもらうためある程度経済的にも養い続けなければなりません。
御本人は御自分の力だけでやると仰いますが、皇室に生まれた運命というものから逃れることは決して出来ません。実際就職の斡旋にしても何にしても皇室の威光というものは常に影響されていくことでしょうし、犯罪組織や他国の政府組織に利用されるリスクを最小化するのに十分な警備を付けなければなりません。様々な局面で得られる我々一般庶民では決して得られない世界的影響力を表向きには一般人となり姓を貰う立場になられてもお感じになられ続けることでしょう。それほどの無形の価値が長い歴史のある伝統のある唯一無二の御存在にはあるのです。
故に我々国民は皇室の方々がどんな思想をお持ちであってもどんな言動をしていても守る義務があり、それは元皇族の方々であっても何も変わりません。
それはすべて天皇というご存在を永続させるためのものなのですね。
この辺を合理主義で税金の無駄である、皇室に何の役に立ってもいない元皇室の方を何故に援助しなければならないのかだとか、我々国民の諫言を誹謗中傷と捉える人になんで我々の血税を使わねばならないのかと安易に考えてしまってはいけません。
そういうことは何も関係ないのです。
何故なら皇室はただただ天皇の権威を守り、皇統を継承するためにあるからです。
眞子内親王に一般人となった後に何か身に危険があってはいけないのです。
一般人になったからにはそれ以後の人生は自己責任であると片づけられる話ではなく、それは天皇の権威を失墜させることでもあり、天皇を利用され得るという意味でもあるのです。
経済的にもそういうことには決してならないような状況にしておくことはただただ天皇というもののためにあるということですね。
元皇族の方々も含めて天皇を支えるあらゆる方々をお守りする責務が我々国民にはあります。
それは眞子内親王のお相手のためではなく、その親のためではもちろんなく、天皇のため、その権威を守るため、その永続的な継承のため、つまり国のために忸怩たる想いがたとえあったとしてもその親戚となる者たちがどんな人物であれ、またその言動に批判があったとしても何としても元皇族の方々も含めてすべての御皇族の方々をお守りしていかねばなりません。
もちろんこれは私の一意見に過ぎません。
私は自分の代で2600年以上といった悠久の歴史、伝統を持つ天皇というご存在を途絶えさせるわけにはいかないということだけを想っています。
ですから皇室の方々がどんな思想を持っておられようが、言動をしようが関係なくお守りし続けるべきであると考えています。
しかし最終的にはその時代における国民の総意がどうなるかということになりますね。
そういう意味で合理的な人たちが増えてきた世の中においてはかなり厳しい状況にあるということは否めません。
実際現代世界で唯一の誠に稀有なご存在が天皇なのですから、それだけを唯一無二のものとしてその周りの些末なことなどには目をつむって我々一人一人の国民がお支えし続けることが出来るかどうか、なんとか現代合理主義、功利主義から脱却して天皇というものの価値、皇室というものの価値を個別の人物評価によるものに矮小化せずに全体の国家としての評価によるものに視点を変えて欲しい、これから皇室を支えるべき日本人の子孫たちに向けて私はそんな想いを込めています。
伝統を壊すのは簡単ですが同じものを創ることは二度と出来ないのです。
このことを決して忘れないで下さい。