相場は楽しむもの

独活日記(相場を生き抜くために)

相場は楽しむものである。

そう私が述べるとそれは甘い、もっと勉強しなければ駄目だ、知識を得なければ駄目だと批判されます。

しかし知識は得れば得るほど固定観念を形成しやすくそこに固執しやすい自分自身形成に役立ってしまいますので過剰な知識は百害あって一利なしなのです。

相場の素人たちは今日も偉そうに自分の知識を誇らしげに主張してこの銘柄の業績がなんだかんだと述べてどうだこうだと御託を並べます。

私はそういうのを見て苦笑します。

相場は確かに成功し続けることは難しい世界ですが、それは知識がないから難しいのではないということをこういうことを述べている相場の素人たちは知らないのだろうなあと思ってしまうのですね。

今日はこのことを考えてみたいと思います。

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相場は楽しむものである

相場を張るということは面白いものです。

何故面白いかというと大抵の人たちは儲かるからといった博打者のような発想をしますね。

しかし実際は儲かるから面白いのではなくどうなるか分からないから面白いのです。

相場を張っていってこの域に達したときに初めて投資家は成長します。

私は仕事として相場を張っていますのでいわゆる日々場中でやっていることはあらかじめ入念に準備された決められたことに従っていく事務的作業となります。

ですから儲かった損したといった思考を逐一感じている暇はありません。

決められたことを正確にこなし続けることに集中しています。

何よりプロを自認している人間は儲かるなどということは当たり前の話なのですね。

ですから儲かること自体に面白さは全く感じません。

もちろん私はいくら儲かっていると自己顕示欲に駆られてネット上で報告するなどという馬鹿らしいこともしません。

当たり前のことを誇らしげに語ることに恥ずかしさを感じてしまうからです。

やはり相場の最大の魅力は未知なるものということであり、科学者が未知なる不思議を解明するために日々試験管で作業することを反復するように私はその解明のために相場を張っている、つまり同じ作業の繰り返しながら楽しんで夢中になって張っているわけですね。

相場の楽しさ

相場の楽しさは自分がこうだと思ったことが実現しないというところです。

人知を超えたところに相場があるわけですね。

その中でいかにして相場を張り続けることが出来て当然どんな相場付きであれ現在のような誰でも儲かる簡単な相場ではなく誰もが儲かりにくい難しい相場でもきっちりと良い仕事をするにはどうしていけばよいのかといったことの追及を日々しているわけです。

その作業、その過程こそが相場の楽しさです。

これが大きな動機であると相場を張ることが継続できます。

儲けたいから相場を張るという動機は多くの投資家たちのよくある動機ではあるのですが、それでは長続きしないのです。

相場では使いきれぬほど儲かることはよくあることですからそれを実現させてしまうと相場を張る意欲を失ってしまうわけですね。

人間一人の人生で必要なお金は贅沢三昧したところでたかが知れているからです。

私もすでに使いきれぬほどのお金を残していますのでもうどうやっても大量に残して死んでいくことになるでしょうね。

それでも今日も相場を真剣に張っているわけですから動機は儲けることにはないということになります。

相場の楽しさは儲かるということではなくいくら経験を積んでも未知なる事象が生じ続けるところを追求していくところに楽しさがあるということに気づいてください。

分からないということの圧倒的な楽しさ

今日仕掛けたとしてそれが明日利益となるか損失となるか分かりません。

その分からないということに関して不安や恐怖を感じる投資家というのはまさに新型コロナウイルスの分からないということに関して不安や恐怖を感じる多数派の人たちと同様ということになります。

新型コロナウイルスに関してはもちろんまだまだ分からないことは多いですが世界的パンデミックとなり症例数も積み重なって致死率なども定まってきて総合的にはたいしたことがないウイルス、要するに感染しても大抵は回復してしまう人類存亡上のリスクはない感染者を犯罪者のように扱う必要のないウイルスであることが確定しています。

それなのに分からないことに関して揚げ足取りのように取り上げてそこに不安や恐怖を感じ続けているパニック症状に陥っている人たちが少なからずなのです。

分からないということの圧倒的な楽しさを知らないのでしょうね。

新型コロナウイルスに関してもまだまだ分からないことだらけだからこそ楽しいのです。

そもそも人間のことに関しても分からないことだらけです。

何故生物はその形を形作るのかどうやってそれが出来るのかまだまだ分からないことだらけです。

だからこそ面白いのです。

相場を張るとは相場の先行きが分からないからこそ張る楽しみがあるわけであらかじめ100%分かっているとしたら相場を張ることの楽しさは全く失ってしまうでしょうね。

もちろん容易にお金が儲かるということでそれだけが目的の人は楽しいのかもしれませんが、そのような楽しみは一過性のもので儚いものです。お金は目的ではなく手段ですからそこだけの道は最終的には空しくなるだけですね。

相場を楽しむ

最後までお読みいただきありがとうございました。

あなたは今日も相場を楽しめていますかね?

その本質はあなたが今日儲かったから楽しめているでは駄目なのです。

あなたが今日損したとしても楽しめているかどうか?

あなたが現在大損していても相場を楽しめているか?

この究極的なマゾヒズムに関しても楽しめているかといったところに本質があります。

確かに相場を張って儲かれば楽しい気持ちにはなるでしょうね。

お金においても富裕は心の余裕を生みますし、他人への許容を生みます。

多くの人を優しくしますね。

しかしどんな結果、どんな経過であろうとも相場を楽しめるかどうかといった究極のところに生涯相場を張れる覚悟があるか、生涯相場を張って生き残り続けることが出来るかどうかといったことの指標があります。

損失を出しても相場を張ることに楽しみを持てないなら相場を張るのは苦しくなりますので早急に止めてしまった方が良いでしょう。

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