いわゆる反高市となる方々はこの『慢』の塊といった性格を保持している人たちばかりです。
そこに潜む心理は高市総理より自分の方が正しく偉く優れているのに何故彼女が総理大臣なんだという妄想をし続けているという残念な人間性にあります。
まあ確かにこういった人たちは角界の成功者たちではあるのでしょう。
芸人にせよ、ミュージシャンにせよ、作家にせよ、学者にせよ、経営者にせよ、政治家にせよ、官僚にせよ、高市総理より自分の方が正しく偉く優れた成功者であるという傲慢性が満ち満ちていることがその各種言動から明らかに見受けられるのです。
普通のサラリーマン家庭から生まれた地盤もない看板もない鞄もない高市早苗という女の子と比較して自分は角界それぞれの専門家として成功しており、自分の方が格上であり、自分の言うことが正しいのだから彼女は間違っている、正されなければならない、自分の言うことを聞くべきだといった傲慢性をこういった人たちからひしひしと感じるのです。
私は多くの様々な人物を見てきましたからこういった分かりやすい人種というものはただただ苦笑するばかりです。
確かに頭がよく知識もあり一定の成功もしており、それぞれの世界で地位もあり、素晴らしい肩書の持ち主ではあるのでしょう。そこは評価しても良いのでしょうが、ただその評価はあくまで他人が評価することであって自分で評価すべきことではないのですが、こういった反高市といったことを感情的にも表出してしまう人たちというのはどうしても自己というものに固執してしまっており、『慢』というものに囚われているということになります。
相場でもこれが顕著に少なからずの投資家に表れてしまいます。
SNSで自分がいかに稼いでいるか、その資産推移を示してその慢があからさまになってしまっている人間性の人たちがいますね。
確かにその通り凄い結果を出しているという経過はあるのですが、問題はそれを不特定多数に示して何か承認欲求的なものを満たそうとしている行為そのものが相場を張る上で非常にハイリスクとなっているということに気づいていないという点です。
本当に注意しなければならないことですので今日はこの慢について少し考えてみたいと思います。
慢とは何か?
慢、自分が正しい、偉い、他人より優れているといったことを強く思ってしまうのは多くのそういう人たちの性質です。
傲慢、高慢、自尊心、虚栄心、優越感、差別感、こういった各種感覚は総じて慢というものが関わっています。
相場をああだこうだと語る人たちには良くあることなのですが、とにかく自分の選択銘柄がいかに素晴らしいかを語っていたり、自分がどれだけ収益を出したかということを誇ったり、自分がどれだけ相場のことを知っているかを誇示したりしていることがほとんどですね。
私などはまあ相場解説、予測も致しますが、別に自分でもそれが正しいとは限らないと常に考えていますし、私自身も絶対こうなるなどとは考えていません。長期円安方向性というものは客観的に日本国というものの世界地図における方向性を図ると一定の正しさはあるのではないかとは考えていますし、一定の自信はありますが、それでも普通に短期的には円買いすることもありますから相場師としては別に何も妄信はしていないのです。
普通は高市批判をするにしてもその批判も一理はあっても必ずしも正しいとは限らないということをどこかでしっかりと根底において発言をしている人にはその雰囲気に傲慢性は感じられないのです。ところが反高市と言われる人たちは慢を剥き出しにした雰囲気をしっかりと醸し出していますので本当に分かりやすい人間だなあと思いながら私はそれを感じたら何も言わずにそっとそういう人たちから逃れてもっと有効なものに時間を使う行動をしています。
それはその人の語り口を見ていれば大抵わかります。
何か高市総理を見下しているような、例えば経営者などでは政治家では非効率な投資しか出来ないといった固定観念の塊だなあと認識できるような人たちが今日も揶揄しているような表情、上から目線な口ぶりで高市批判に興じているのが現実です。実際は経営と政治は全く異なるもので非効率でもやらねばならない、経営者なら絶対にやらない、やれないことをやる、やれるのが政治家であったりするのでその辺を理解していないとも言えるのですが、いずれにせよそこに潜む心理は自分ならもっと上手くできるという自己優越性なのです。
つまり慢に囚われているということになります。
本当は自分が成功していなかった時期、成功へ向けて燃えていた時期、何も知らなかった未熟だった時期というものを省みる、初心に帰るということを自己反省しなければならないのですが、これが一切出来なくなってしまっている現状にある人物ということなのです。
こういった人たちは老若男女に関わらず社会にとっては害悪となってしまいます。
いかにして慢から脱却するのか?
従って人間は常にいかにして慢から脱却するのかということを考えて対処していかねばならないのです。
そのためには内省というものが大事となります。
内省とは要するに自己把握ということになります。
自分の心に働きかけて客観的に自己反応を分析していくということです。
これを怠ると巷に蔓延る反高市という名の自己反省なき固定観念の塊の人間が出来上がってしまいます。
様々な知識を得て、様々な経験を得て、人は本来成長し続けるのですが、もうこれ以上はない、誰にも学ぶことはない、自分の考えが絶対だとなってしまったときに、人の成長は止まり、老害になるわけですね。実際年齢として若いうちにそうなると非常に社会の害悪となる悲惨な人生ですが、普通は年相応にそうなってしまいやすいというのが現実です。
私のような老人がどうしても固定観念を多く持ってしまって今の若いもんはと言ってしまいがちなのは人は人生を歩んでいく過程で日々慢を溜め込み続けていくからということになります。
ですから逆に日々内省をすることで慢を解放する努力が必要になるわけです。
そしてそのためにやるべきことは簡単です。
それはただ慢を自覚すればよいだけです。
私は随分とこの銘柄に拘っているな、私は随分と自己資産増殖したことに拘っているな、ということをきちんと自分で自分を理解すること、この作業を怠らないことが銘柄分析よりずっと大切なのです。
自分の心を見つめ続ける
最後までお読みいただきありがとうございました。
慢は相場でも人生でも禁物です。
そして慢は日々誰しもが蓄積し続けているということに注意しましょう。
私自身も例外なく蓄積し続けているゆえに今日も内省する時間を取って慢を解放する作業を継続しています。
とある銘柄が圧倒的可能性があると分析することは良いのです。
そう客観的分析した上で手掛けることは良いのですが、結果として収益が出てこない、経過としていまいちな推移であるといった事実が生じた場合にそこに拘らないかどうかの分水嶺に慢というものが関わってきます。
忘れないでほしいのです。
あなたはそれほどに優れた投資家なのだろうか?
市場の考えを無視してでも拘るべきものなのだろうか?
突き詰めていくとそこに絶対性はなく、拘る必要性のある考えではないということを理解できます。
慢を解放し続けている投資家は自分の行動そのものに拘りません。
自分の行動の結果が成功であれ失敗であれそこに拘らない姿勢を保っているのです。
そしてこの投資姿勢こそがとても大事なのです。
従って自分の心を見つめ続けることです。
そこに慢が潜んでいないか注意深く、観察し続けることです。
それがそのまま連動して成功し続ける投資家としての精神確立に繋がっていくというのが真理です。
まずはあなたの中の『慢』を見つけてみてくださいね。
