含み益

独活日記(相場を生き抜くために)

含み益を大量に抱えた投資家の顔は幸せそうな顔をしていますね。

誰かに公言したくなる気持ちもよくわかり、実際ツイッターなどで公開している方もおられますね。

そのこと自体は嬉しいのですから人間としては常識的な行動なので別段どうでもよいことなのですが、問題は含み益というものを誤解しているかもしれないというところで落とし穴となりやすい状況にあるとも言えるのです。

今日はこのことを考えてみたいと思います。

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仮定の利益

含み益はご承知のように仮定の利益です。

要するに未実現利益ということになります。

明日には含み損になっているかもしれないものです。

実際天国から地獄を味わった投資家というものは過去輩出され続けてきました。

実現させて初めて含み益が本物の利益となることを忘れてその現段階のおけるただいま確定すると仮定したら出るだろう利益数字を見て多くの投資家たちは喜び、そこに安心するのです。

しかし仮定の利益であると理解している投資家は何の喜びの感情も沸きません。

明日にはすべて消え去るリスクというものをきちんと認識しているからです。

ですから注意深くその進捗状況を監視し続けることを怠ることなく、情勢の変化に機敏に対応して逆指値を上方修正したりまさに手仕舞うことを実践するなどしてそれを失うことがないようにすることに集中しています。

一喜一憂しない

含み益というものに一喜一憂しないことが大事です。

含み益の増加に喜ぶのは利益確定した後にすべきであり、含み益の減少に嘆く前にさっさと見切らなければなりません。

いずれにせよ大事なことは自分の仕掛けた方向性へと株価は順調に進んでいるのかどうかということであり、そこに異変があるのかないのかを確認することであり、そこに変化がなければ目先の含み益の増減は気にする必要性は全くないということです。

そのためにあなたが出来ることは仕掛けた理由をもう一度振り返ってみることです。

含み益云々の前に何故仕掛けたのかを考えてみれば確実に割安だったからだとかトレンド転換タイミングだった、各種指標でシグナルが出たからとかいうものが見つかるはずです。

現在それは依然として適用し続けているのかどうかということだけに集中しましょう。

そしてそれが手仕舞いすべき状況となっていると判明したなら含み益がいくらだろうとそれがどれだけ増減していようと関係なく手仕舞わねばならないのです。

含み益は泡と露

含み益は泡のようにすぐに消えてしまうものです。

含み益は露のようにいずれは蒸発していってしまいます。

そのようないずれは儚く消え去ってしまうものである故にあまり見るべきものではありません。

当然売買判断においての参考には全くならないということを自覚しましょう。

そしてむしろそれはあなたの判断を過つきっかけとなるということを認識しましょう。

もう一度思い出す

最後までお読みいただきありがとうございました。

結局大事なことは含み益がどういう状況であれ手仕舞うべきときには手仕舞うということですね。

含み益がいくらなのかということよりも手仕舞うべきタイミングはいつなのかということに集中しそれだけを判断材料として実践せよということになります。

もしあなたが含み益がこれほどあるということを誰かに自慢したくなったら注意しなければなりません。

手仕舞うべきタイミング判断よりも含み益の金額に関心が移ってしまっているリスクがあるからです。

その場合はもう一度この記事を思い出してくださいね。

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