SNS時代となり、誰もが気軽に発信できる、してしまう時代となってしまって当然のごとく功罪がどちらもあるということになります。
良いだけの事象も悪いだけの事象もないというのがあらゆる事象に対して言える真理です。
SNS時代の功の部分はやはりマスメディアでは決して流されることが無かった真理があらゆる分野で探し当てることが可能となったというところでしょうね。
相場の真理に関してもその一つですがただまあマスメディアの影響力の方が圧倒的に大きいですから実際に真理にたどり着ける人たちは極々少数派となってしまっていますが、以前は皆無でしたから少ないながらも真理を掴むことが出来るといったことはSNS時代の圧倒的な功の部分と言えましょう。
そしてそれと同時に罪の部分も大きくクローズアップされてきていますね。
罪の部分は一言で言うなら表題通り自己正当化の弊害です。
ツイッターは日本で人口比率なども考慮すると世界最高の利用率だそうです。それほどに日本人の多くがツイッターを利用して少なからずの人たちが自己主張を発信しています。
YouTubeにしてもブログにしてもとある個人が不特定多数の人たちへ向けて自己主張できる時代はある意味自由であり良き議論の場となりそうな気配はあるのですが実態はそうはなりません。
どうしても自己正当化に走ってしまう人たちが多くなっていきます。匿名性を批判する人もおりましたが匿名ではない人も少なからずツイッターやYoutubeで暴言を吐いたりして炎上しておりますから匿名性はあまり関係ないですね。
結局どうであれその人の人間性というものが本性的に露出するのがSNS時代の本質です。
そこにあるのはどこまで行っても自己正当化なのです。
ちょっと違う意見を言うともう上から目線で馬鹿にして反駁しようとして徹底的に自己正当化しようとする人が後を絶ちません。
自己主張は全然良いのですが、それがどんな主張であれ絶対的なものとはならず、論理的に説明出来ていたとしても一理でしかなくそうではないと思う人は一定数必ず生じるのが当たり前のことなのですが、それがどうしても許せなくなるというのがSNS発信する人たちの人間心理のようです。
思えばこのSNS時代においても一切そういう発信をしない人たちが実はほとんどなのです。前よりも個人が多く自己主張するようになったとはいっても実際は多くの実践をしている多忙な身でツイッターで毎日つぶやいている暇など普通はないはずなのです。
それが出来る人はそれがまさにビジネスとなっている発信か、時間を持て余している環境にある人たちの暇つぶしによる発信か、後は狂信的な危ない人たちによる発信ということになるのでしょう。
いずれにせよそこに付きまとうのはいつも自己正当化であり、自分の考え絶対主義者たちであり、両者がそういう人間性だともう議論にもならず誹謗中傷合戦となってしまうわけです。
論理的であろうと感情的であろうと何だろうと有名だろうと無名だろうと、人気があろうとなかろうと、成功していようといまいと、とある人間の自己主張は一理あるかもしれないことでしかないというのが絶対的な真理です。
ところがそうきちんと大人な思考になれない人がSNSの世界においては多いですね。
私も相場で自己主張をしています。
もちろん自信を持っていますし、長年結果も残し続けてきて、その経験知を正しく自己主張しているつもりですが、一理でしかないことを理解しています。
従ってそうではないと思う人がいても当然ですし、そういう人に対してはあなたはそういうお考えなのですかそうですか。それぞれの考えを元に実践してお互い成功できると良いですねと言うだけなのです。批判に批判を返して自己正当化するつもりは全くありませんのでそういう考え方もあるんだなという程度に淡々と受け入れるだけなのです。
そういった心の余裕がない何か切羽詰まった絶対主義的な自己正当化の弊害がSNS時代の罪の部分として君臨しているなあというのが私の考えです。
相場における自己正当化というもの
ここで出てきた自己正当化というものは実は相場では顕著に重要な人間性なのです。
この排除が出来るかどうかが相場での成功のカギとなります。
相場では色々な考えが色々な事象と複雑に絡まって現値を形成していきます。そのうえで様々な人が様々な自己主張をして煽っているわけですが、どうであれその総合的結果として買い勢力が強いなら買われていきますし売り勢力が強いなら売られていくといった需給という純然たる事実によって値が変化し続けます。現値が変化する度に勢力が判定されてその優勢な方にただただ進み続けるわけです。
従ってそこで自己正当化をしてしまう投資家というのはその通りの方向性に進んでいるときはそらみたことかと自慢し、自信過剰に増し玉したりするわけですが、逆の方向性に進んでしまうとこんなはずではない間違っていると難平してしまったり、含み損がどんどん拡大していっても指を咥えて見ているだけで迅速処理できなくなってしまうのです。
総じて自己正当化という人間性がその投資家の基本にあることが主因です。
自己正当化というものを基本に置いていないなら淡々と間違っていたとして迅速処理できるはずなのです。
ただただ結果は自分の考えた通りにならなかっただけの話だからです。
自己正当化するよりなにより事実が目の前にあるのだからそこに素直に反応するしかないといった姿勢になれるわけですね。
相場における自己正当化というものはこのように百害あって一利なしなのです。
自己正当化心理は感情的トラウマであることも多い
何らかの批判的な主張をみたときにそこに大いなる自己正当化欲求を感じてしまうということは実のところ学びとなります。
そこにあなたが大きな感情的トラウマを抱えているということになります。
例えば損切りが大事だと私が言ったときにそんなことしなくても成功できると思う投資家の自己正当化心理は過去損切りが大事だと思ってやってみたが損切り貧乏となる結果となってしまったと言った経験を保有していたりします。
その経験が感情的トラウマとなって徹底批判して自己正当化したくなる思いで満たされてしまうのです。
つまりこの場合その投資家は損切りといった行為に対して間違った認識をしてしまっており、大いに思考を変える機会であり、それを成した場合一気に成功し続ける投資家へと変身できる可能性があるということです。
自己正当化心理は感情的トラウマであることも多いということに気づきましょう。
そういった自己心理における乖離事象が何かということを特定するのに自己正当化心理は役立つことが可能ということを認識してください。
事実に勝るものなし
最後までお読みいただきありがとうございました。
今日は自己正当化の弊害というものについて考えてみました。
色々な人たちが色々な知識や経験によって論理的にも感情的にも様々に自己主張をするわけですが、そのこと自体は何も問題ないのですが、そこにどうしても噛みついてしまって批判に興じてしまう人というのは大きな自己正当化欲求があるということを自己認識しなければなりません。
相場では自己正当化は投資家の成功を大きく阻害しますからぜひとも克服して欲しい人間心理です。
SNSにおいてもやはりそういうことをしても結局は虚しくなるだけだと私は考えていますから私は一切やりません。
いろんな自己主張があるからこの世は面白いのです。
その一つ一つに自分と違うからというだけで自己正当化をしようと画策する必要はないのです。
どうであれなるようにしかなりません。
民主主義の国においては多数決で決まるだけです。
それが真理だろうとそうでなかろうと。
相場では事実に勝るものはありません。
事実に淡々と反応するしかないのです。
それをする上で自己正当化は一切必要ありません。
もうちょっと鷹揚に生きたいものです。