べき論からかもしれない論へ

独活日記(相場を生き抜くために)

多くの投資家は自説に執着しています。

まるで評論家を見ている感じですね。

決して自己批判をせず他人批判ばかりで自己主張を貫き通し、論破することだけが生きがいと言った無駄な人生を過ごしているのは自由とはいえ軽蔑の念しか沸きません。

相場ではいつも株価は上がるべきである下がるべきであるから始まって割高だから割安だから株価は修正されるべきだなんだと今日もこうあるべきであるといったべき論が喧々諤々行われています。

私はこういうのを見て思うのは暇人ですねといった感想なのですが、相場においてはべき論で実践を踏むのは大失態を犯す根本原因になります。

従って今日はこのことをじっくりと考えてみたいと思います。

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~するべきがあなたの固執を生む

何々するべきである。

そこに潜む心理は自己正義感自己肯定感といったものになります。

相場に限らず何でもこういうべきという強い言葉を使って他人に圧力をかける人は多いですね。

それはちっぽけなあなたの考えの一意見に過ぎないのですよ

と言うと途端に怒りまくり、いかに自分が正しい考えの持ち主であるかを述べ続けるわけです。

これを固執と言います。

老人がそうなりやすいのは肉体的なものなのか精神的なものなのか分かりませんが、老若男女に関わらず自分のこうあるべきといった考えを様々な事象において持ってしまってそれが時代遅れであるだとか真理が外れているかといった自分自身に疑問を持つという謙虚さを失って突き進んでしまうのです。

残念なことに相場でも顕著にそれは見えて、それがその通りになった場合にはますます自信を深めて自分の考えに固執するようになっていきます。

面白いなあと思うのです。

私などは常に自分の考えに疑問をぶつけ続けているので凄い自信だなあと感心してしまうくらいなのです。

私は今日も大損を避けずとも上手く行く方法はあるのか、トレンドに従わなくても上手く行く方法はあるのか、市場の考えに従わなくても上手く行く方法はあるのか、考え続けているのですが、今のところ思いつかないので私がいつも提唱している相場の基本三原則は投資家の誰にでも当てはまる真理であろうと考えているわけなのですが、こういうべき論で凝り固まった人たちは自分の考えにこういう柔軟性を持てないのです。

市場の考えは気まぐれで当然ながら我々一人一人の投資家たちより大きな力を持っていますから自分の考えにこだわっていれば必ず大失態を犯すことになるのですが、そんなことにはならないと固く信じてしまっているのです。

ですから~するべきがあなたの固執を生むということに気づいてください。

~かもしれないがあなたの適切なリスク管理を呼ぶ

相場を張る上での基本的思考を~かもしれないというものに変えましょう。

投資家としては常にどうであれ一定の可能性に賭ける実践を継続しなければなりません。

可能性に賭けるということは当然ながらその可能性が脆くも崩れ去る結果となるリスクがあるということです。

ここでこの私が熟慮に熟慮を重ねて選んだ素晴らしい銘柄、タイミングの取引であるとしてこの可能性が目出度く成就すべきであると考えてしまったら圧倒的なハイリスクを請け負うことになります。

数学的なハイリスクはハイリターンを生む事象があるという意味で賭ける意味はありますが、こだわり、固執といった投資家の精神性におけるハイリスクはハイリターンを呼ぶことはまずありませんので決してそこに陥ってはならないのです。

従って常に~かもしれないという思考でいる必要があります。

私は確かに良い銘柄、タイミングのように思ったので仕掛けるがしかし結果悪い銘柄であり悪いタイミングであるかもしれないという思考のままでいるということです。

その具体的対処は損切りラインを置いてしっかりとそこに達したら見切る精神を保持しているだとか、この取引だけで投資家人生が終了というわけではないとかいうような心理形成をしているということになります。

このような心理形成をする上で大事な思考が~かもしれないと常に考え続けているということなのです。

その思考が結果として精神的に適切なリスク管理を呼ぶことになります。

大前提としての数学的な適切なリスクを取ることは当然ですが、精神的にそれが出来ているということは同時に数学的にも出来ていることは多いですので大抵は投資家としての精神確立だけが出来ていないということになりますね。

この世の真理

実はこの相場の真理はこの世の真理でもあるのです。

脱炭素脱炭素と盛んにこのところ叫ばれてSDG’sだなんだと子供に教育していく恐ろしい偽善時代に入っていますが、脱炭素すべきであるといった発想に陥っているということになります。

しかし科学は奥深いもので脱炭素が正しい真理ではない可能性は十分にあるのですね。

普通はそういった可能性もしっかりと考慮するのですが、いわゆるビジネスとして政治としてこういった時代の流れを作る勢力というものが常にいてそういったものがマスメディアを大いに利用して扇動しているわけです。

この辺のところを理解しているならまた新しい利権作りに励んでいるなという程度に脱炭素やらSDG’sやらを冷めた目で見られるわけですが、純真無垢な子供は言われるがままに、生真面目な馬鹿正直な大人の少なからずも多大に影響されて脱炭素すべきであるといった方向性へと思考が囚われてしまうのです。

これが今までも繰り返されてきた歴史ですしこれからも続いていくこの世の理ですが、結局そこにあるのは~すべきであるといった思考の凍結なのです。

別の可能性、そうではない世界の可能性といったことを全く考えることが出来なくなっていってしまうというのが実情なのです。

つまりこういった~すべき論が啓蒙されるのはこの世の真理であり、相場もそこから逃れることは出来ません。

総じて人間心理がそういった長いものに巻かれることが楽である気持ちが良いと感じる動物ですから、どうしても相場ではこうすべきであるといったものに対して固執してしまうのです。

プロの相場師は常に悲観的思考である

プロの相場師はこの人間心理の罠を知っていますので自分がそうならないように対処をしています。

そこにあるのは徹底的な悲観的思考です。

しかし間違ってはいけないのは悲観的思考とは言っても自分は駄目だとか自分は成功できるわけがないといった自己卑下的な悲観ではないということです。

最悪の事態もしっかりと想定して対処し事前に準備するといった徹底したリスク管理をするという意味での悲観的思考です。

まあ確率的に起こることは極小だろうこともきちんと想定して準備をしていくということですね。

巷には楽観的思考というものを曲解している方々も多いのですが、能天気にお気楽に売買していれば大丈夫とかいった楽観では当然駄目なのです。

あくまで一定の自己信頼で結果を恐れずに損益状況に翻弄されずに適切な仕掛け手仕舞いを継続出来るための精神としての楽観が必要ということです。

実際具体的客観的な分析面、資金管理、リスク管理面においては常に過剰なほどに悲観的思考で臨んでいるのが普通です。

従って~すべきである、こうなるはずであるなどといったべき論が入り込む余地は一切なく、常に~かもしれない、という程度の謙虚な姿勢で全取引に向かい、適切な資金管理、リスク管理を維持しています。

プロの相場師は常に悲観的思考で相場に取り組んでいるということを決して忘れないで下さい。

謙虚な姿勢

最後までお読みいただきありがとうございました。

自己主張の強い人、自尊心の高い人は得てしてこの~すべき論に嵌ってしまうことが多いようです。

厳しい投資の世界に入ろうとする、その時点である程度の資金力を付けたという成功者であることが多いですからどうしても相場でも成功できると自信過剰に自己にこだわる人が多くなってしまいます。

そこに相場の罠があります。

相場では決して何かにこだわってはいけません。

自分のポジションに大逆行局面が起きているならそれが論理的におかしくても見切れなければなりません。

優秀な自己主張の強い人たちはここで決して自説を曲げる、自分の負けを認める行動が出来ないのです。

そのときこの記事を思い出してみてくださいね。

自分は~すべきだと思っていないか?

~かもしれないという思考転換しなければならない。

そう考えてみてください。

そんな謙虚な姿勢が長い投資家人生においてはとても大切な人間形成となるのですね。

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