相場格言として有名なものの一つとして人の行く裏に道あり花の山というものがあります。
多くの塩漬け投資家たちの合言葉といったものになっていますね。
現段階において報われていない投資家たちの癒しの言葉として、自分自身を納得させる言葉として使われることが多く私はあまり良い言葉だとは考えていません。
相場格言は相場で適切に売買できるために心に刻むべき言葉であって相場で自分への言い訳を補強するために心に刻むべきではないからです。
今日はこの有名な相場格言について少し考えてみたいと思います。
人の行く裏に道あり花の山
多くの人たちが行く道の裏、つまり正反対の道に花の山、大儲けがあるということなのですが、確かにそれは一理あります。
実際私自身がやっている手法もこの人の行く裏道であり、多くの投資家たちは株価が下がったら買い上がったら売りだと思っていますが、逆に私は株価が上がったら買い下がったら空売るを実践継続して圧倒的収益を長年叩き出し続けているからです。
多くの人たちは普通の商売の原則が株式市場でも原則であると思ってしまうのは致し方なく、安く仕込んで高く手仕舞えば当然儲かると考えがちなのです。
しかし相場の真理はそこにはなく実際は株価が上がるものを買い下がるものを空売らなければ儲かり続けることは出来ないのです。
そういう意味では確かに相場では少数派がいつも勝つ、人の行く裏に道あり花の山なのですね。
自分に都合よく解釈される相場格言
ですから一理ある格言ではあるのですが全理ではないということに気づかねばなりません。
低迷株を保有し続けている、タイミングを逸した仕掛けをしているものにこだわっている投資家などがよくこの相場格言を使っているのを見かけます。
誰も関心を持っていない安値に放置されている銘柄を保有している投資家が人の行く裏に道あり花の山を私はやっているといって自分の銘柄選択、売買タイミングの間違いを修正せずにこだわり続けてしまっていることがよくあるのです。
相場格言は何かしら納得できるものがあるから語り継がれてきている言葉なのですが、それを自分に都合よく解釈して自分自身の過ちを黙認したり言い訳として使っては元も子もないということです。
人の行く裏に道あり花の山
この相場格言は本当にこの言葉のみでは誤って解釈されやすい相場格言と言えるのです。
人の行く裏に道あり花の山に続く言葉
さて従って相場を愛する私はその修正を試みようと思うのです。
私はプロの相場師ですから儲けるという意味では赤子の手をひねるレベルのものとなっており、もうそういう利益をいかにして継続的に圧倒的に出し続けるかといった観点からは考察が十分に深くなっており、結果も出ているので現在では相場とはといった哲学的な考察にまで行っています。
そして過去の相場格言というものに関しても単純に鵜呑みにするのではなく勝手にこうだと解釈してしまうのではなく相場を張って私自身が培ってきた自分をも疑う姿勢を持って物事に対処する姿勢を発揮して考察しています。
今回の人の行く裏に道あり花の山という相場格言はそういう意味では大いに欠けているのです。
五七五の俳句調ゆえ言いやすいですし浸透しやすい言葉なのですがそれ故に誤解して解釈してしまう投資家が多くなってしまうということを危惧しています。
そんなことを考えていた時にこの相場格言にはさらに続く言葉があるのではないか?
そう考え始めてきたのです。
俳句から短歌へ
つまり俳句から短歌、五七五から五七五七七が本来のこの相場格言なのではないかと思い至るようになりました。
つまりこの相場格言は誤解されやすい投資家自身の都合よい言い訳に使われやすいということを解消して本物の相場格言にするためには俳句から短歌へと昇華させる必要があるのではないかと思いました。
そして今それが完成したのです。
早速公開しましょう。
人の行く裏に道あり花の山 険しき道の裏の裏なり
この相場格言は五七五の俳句調ですが、実はこれだけでは非常に誤解を与える格言なのですね。
従って私が五七五七七の短歌調に変えて、本物の、誤解を与えることない格言に変えたいと思います。
裏道は確かに人はおらず放置された株価で花の山が眠っている可能性はあります。
しかしその道は険しき道なのですね。
その多くが裏の裏、裏道を行っているように思えて実はそうではない、花の山に至る道に進んでいないことが多いのですね。
どうしても多くの投資家たちはこの相場格言を見て誰も見向きもしていないような銘柄に飛びつき、株価が全然上がらなくても自分の先見性を誇り、気づかない投資家たちを馬鹿にし、私は裏道を行っているんだ、待てば海路の日和ありと長期的な資金拘束や塩漬けを容認するためにこの相場格言を使ってしまいがちです。
しかし実際には裏道は険しき道なのです。
表道よりずっと困難ですし、時間もかかりますし、間違いも多くなるわけですね。
このことを決して忘れることなく、本当に自分は花の山へと続いている人の裏道を歩いているのかどうか吟味することが大切であるということを訴える。
それがこの相場格言の完成形であると私は考えています。
教訓としての相場格言
最後までお読みいただきありがとうございました。
相場格言は数多ありますが今回の言葉は有名です。
従って多くの投資家たちが見知っているという意味でしっかりと吟味し投資家の役に立つ、誤解を与えない相場の真理を教えるものであるべきです。
そういう意味でプロではあるがまあどこにでもいる相場師である不肖私翁が付け足して俳句から短歌に形式を変えることで相場の真理をしっかりと理解できる相場格言にしてみました。
あなたもじっくりと反復してみてくださいね。
相場格言は素晴らしいものであり、長い歴史を紡いで投資家に受け継がれ続けてきたということは当然ながら一理は示しているものです。
しかしそれが必ずしも現代相場に通じるものとは限らず、相場の真理を述べているものとは限らないものであることも多いのです。
相場評論家たちが相場格言を持ち出してああだこうだと相場を述べるのは苦笑しか出ませんが、相場実践の中から苦しみながら生み出されてきた言葉の中には光るものがあり、そういった人たちから醸し出される呻きのような言葉はまさに格言足り得るものとなり得て次代の投資家たちの教訓として受け継がれ続けるのでしょうね。