今年も終わりが近づいてきましたね。
今年は異常気象で老体には厳しい年でしたがここまで何とか生き残ることが出来ています。命尽きるその日まで相場を張ると言うのがプロの相場師としての当然の使命であり、どんな分野の世界の方々でもやはりそこに生涯邁進し続ける人生は素敵なものです。
ただ相場を熱中するあまりに非常に視野が狭くなって相場だけがこの世の世界と錯覚してしまうこともあるというのがいわゆる専門バカとなりやすい、困った事象です。
私はそんなときはピアノを弾いて思考回路を改善させるわけですが、もう一つ夜空を見上げることも多いのです。
今日はこのことを考えてみたいと思います。
夜空は今日も変わらない
人間は互いに恨み妬み、嫉み争い、ウクライナ紛争は相変わらず継続しており、イスラエルにおける戦争も拡大しようとしています。
日本の夜、老人が一人外に出て夜空を見上げてもまあ大丈夫なことの何と幸せなことか。
確かに人生全てが上手く行ったわけではなかったが、まあ良しとすべきではないか?
圧倒的大成功を収めている大谷選手だって怪我を繰り返していわゆる仕事が出来ない挫折を味わい続けているのだから凡人の自分が各種失敗を繰り返してきた人生を送ってきてもそれは当然だと考えれば良いのですね。
相場師としては幸いにも私は成功を収めていますし、もちろんこれからどうなるか分かりませんが、生涯大丈夫だろう現環境ではありますが、ここに至るまではサラリーマンとして経営者として色々葛藤があってもちろん失敗も繰り返しながら長い長い道のりでした。
最初から自分はこれで生きるというのが見つかる人ももちろんいますが、いつまで経っても見つからない人、晩年になっても見つからない人というのもいます。そしてそれで良いのです。そもそも見つかる人が数少ないのです。大抵はまあ成り行きでこうなったから適当に成り行きでこういう仕事をしていてなんだかんだ勤め上げたよといった方が多いのです。
私はちと糞真面目でしたからこんなことをやっていていいのだろうかと思い悩み脱サラし脱経営者までしてしまった特殊な人間ですが、まあそういう人は極々少数派なのです。
変わらないことがあります。
それは夜空の星々は相変わらず今日も輝いているということです。
最近何か多忙に忙しなく日々生活していて夜空を全く見上げていないというあなた、何とか見上げてみる時間を作って夜空を見上げてみてください。
夜空は今日も変わらない。
そう感じるはずです。
不変の真理
子供の頃はよく夜空を見上げたものです。
最近の子供たちは機会が減っているかもしれませんが、それでもネオン眩しい夜も明るい都会の夜であっても良く見えないというだけで何も変わらず星々はきちんと配置しています。
星座には私は詳しくありませんが、有名どころなどを子供の頃に教えられて覚えておいたものが何十年も経った後の現在相変わらずそこにあるということに感動します。
私自身は肉体的に衰えて風貌も変わっていったわけですが、夜空の星々は何も変わらず見えたのです。本質的には変容し続けているのだろうと思いますが、人間というものの短い人生期間と比較すると極々微差となり、人間にはその時間軸への理解が及ぶことなく同じに見えるわけですね。
昔見たオリオン座は間違いなく今日も同じところに燦然と輝いています。
この不変の真理はとても大事なものであり、とても癒されるものです。
相場で述べるなら何度も繰り返していますが、相場は何事も起こり得るといった絶対真理ですね。
こういったものを思い出してしまいます。
変わらぬように見える変容し続けるもの
最後までお読みいただきありがとうございました。
この世の真理は結局すべて変容し続けているということでしょうね。
地面に転がっている石も何も変わらないように見えて年月を経て少しずつ削れていきます。
夜空の星々もその輝きは何も変わらないように見えていますが、少しずつ変化しています。
若者たちは今の自分が全く変容せずに若いままだと思っているかもしれませんが、そんなことはなく若いうちは一瞬で日に日に年を取り、あっという間に変容してしまいます。
異常な気温変化や急激な寒さによってあちらこちらが痛むようになっていき、身体も思うように動かせなくなっていきます。絶対的に変わらぬ真理はどんな人間も変わらず最終的に死に至るということですね。いくら金を稼ごうが、どれほど有名になろうが、何をしてもしなくても誰しも最終的に受け入れざるを得ない真理です。もちろん常に体力をつけるために生活習慣を改善していけば痛い箇所も減り、身体もある程度動かし続けることが可能ですが、現状若返りの薬などは一切開発されていませんからすべきことをさぼればあっという間に衰退していきます。
ある程度の長期で見れば変わるだろうことは理解出来ても今日の自分と明日の自分は同じだろうと考えている人がほとんどで、故に今日というものを大切に生きられない人が少なからずです。
結局変わらぬように見える変容し続けるものである。
このことを長期的には理解していても極短期的には全く理解していないということですね。
日一刻と我々は誰もが死に近づいており、それは明日である確率は老若男女誰にでも起こり得ることであるということです。
相場は何事も起こり得る
私の相場を張る上での信念はこの言葉に集約されているわけですが、今日の相場と明日の相場が急変していくことは普通に起こり続けており、故に相場環境が長期上昇トレンドだろうが長期下落トレンドだろうが長期横ばい相場だろうが関係なく一貫した収益を叩き出し続けることが出来るための努力を日々怠るわけにはいかないわけですね。
相場は何事も起こり得るので何が起こっても適切に対処しなければならないからです。
そしてそれはいつ起こるかも全く分からず、それは明日かもしれないからです。
夜空を見上げてみると分かってくることは子供の時見たあの夜空と全く変わっていない輝きを示しているこの空は実際にはかなり変容しているのだが私には全くそれが気づけていないという事実、それは常に人は錯覚し、目で見たもの耳で聞いたもの、五感を駆使して捉えた情報も誤って理解しやすいということです。
これは相場を張る上で非常に参考になっていきます。
自分の考えという不確かな妄想にこだわらない自分を形成できるヒントを与えてくれます。
夜空を見上げてごらん
あなたはそこから何を見出しますか?