0と1のつまらないデジタル社会というもの

徒然日記(相場以外の話題も)

菅さんは農業出身者とは思えないほどに現代社会に染まった政治家ということになりそうです。

デジタル社会がもたらしている効率性、合理性というものは実は人間にとってはとてもつまらないものなのですね。

何故ならデジタルとはあらゆるものが0と1で構成されているからです。

要するに無駄が一切ありません。

しかし人間の社会は0と1の間無限の世界が広がっています。

無駄が大いにあってそこに圧倒的な楽しさがあるわけですね。

このことは相場を張る上でも非常に大事な視点です。

私がなぜコンピューター自動売買をしないのかが分かります。

今日はこのことを考えてみたいと思います。

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0と1の合理的論理的だが閉ざされたデジタル社会

0と1で組み合わせたデジタル社会というのは合理的かつ論理的で分かりやすい答えが必ずある世界です。

ですから納得行くことばかりであり、素晴らしい効率的な世界のように多くの人たちは思います。

最近はとにかく答えを求める人たちが多く、これが唯一の正解であると合理的論理的に考える人たちが増えていますね。

しかしこの世は現代も依然として分からないことだらけなのです。

人間の脳とは比較にならないほど圧倒的な計算能力があるコンピューターが一生懸命計算しても決して分からない未知なるものが無数にあるわけなのですが、AIなどでそれは分かってくるはずだと主張している人たちが少なからずです。

要するにその持ち前の計算能力で人間の及ぶところの遥か先の思考をコンピューターが駆使することによってあらゆるものが解明されるといった発想ですね。

しかし残念ながらコンピューターは人間の真似事は人間より圧倒的に優れたことを迅速かつ効率的にこなせますが、0と1の世界で構成された非常に閉ざされた世界であるがためにその域を超えて圧倒的に広がっている0と1の間の世界に入り込むことが決してできないのです。

自動売買としての相場

相場でもAIが売買する自動売買というものが隆盛となっています。

投資家心理を読んでその逆を突くアルゴリズムで売買して行けばとんでもない収益となるはずだというわけですね。

しかし蓋を開けてみるとバフェットを大きく越えるような資産を築いているAIはどこにもありません。

決められた合理的論理的判断によって感情なく淡々と売買できるという意味ではコンピューターは圧倒的な能力があるのですが、それは0と1の世界といった狭い世界における特質に過ぎず、0と1の間の世界が圧倒的に大きな世界ですのでそこに踏み入った相場局面においてコンピューターは物の役に立たないのです。

つまり自動売買は相場が0と1の閉ざされた世界で動き続けるなら圧倒的成功をもたらすが現実は0と1の間の世界に踏み入る局面がある故に圧倒的成功をもたらすことは不可能であるということになります。

AIのシステムに改良を加え続けていくことでより人間的に人間より人間的に行動するように真似ることは出来るのですが、それでも0と1で処理するといった大前提がコンピューターにある限り0と1の間の世界には永遠に踏み入れることは出来ません。

従って自動売買の将来はまずないと私は考えています。

0と1の間の相場

相場というのは0と1の間の世界に頻繁に踏み入ります。

これだけでは抽象的ですからきちんと丁寧に説明しましょう。

要するに相場は常に歪な相場を作り出しているということです。

すべてが合理的論理的に出来ている0と1の世界であるなら割安性、割高性など生まれません。

業績推移に応じて常に一瞬で適切な妥当株価に迅速に収斂し続けるはずだからです。

ところが実際には割安放置されている銘柄もあれば超割高水準まで買われている銘柄もありますね。

少なからずの投資家たちがこれはおかしいと思うわけですがおかしくもなんともありません。

0と1の間の世界にいるから当然の話なのです。

相場は差別的世界です。

相場格言で言えば相場は美人投票であるというものがありますね。

全く合理的論理的ではない世界なのですね。

ここでいわゆる相場評論家と私が揶揄する人たちは相場は難しい私の論理が正しいはずなのに実際はその通りにならない儲からないということになるわけです。

私は上がるものを買いなさい下がるものを空売りなさいと日頃良く言っていますね。

大抵の投資家たちはこれを見て馬鹿にするでしょうが、0と1の間の世界にある相場においてはこれだけが唯一の真理なのです。

事実、上がるものを買わなければ自分が買った後利益確定できる状況には決してなりませんし、下がるものを空売らなければ自分が空売った後利益確定できる状況には決してならないのです。

当たり前の話なのですが、その当たり前の話を多くの投資家たちは理解することなく安くなったから前より割安になったのだから下がるものを買い、高くなったから前より割高になったのだから上がるものを売るわけです。

0と1のデジタル社会に染まっている人たちは合理的論理的に割安過ぎるおかしい、割高すぎるおかしいと述べていく中で0と1の間の無限の世界を知っている我々は非合理的非論理的であっても淡々と市場の考えに従って実践継続していくのです。

0と1の間の無限の世界に相場は往々にしてあるということを認識してください。

デジタル社会への方向性はよりつまらない時代へと進んでいく

最後までお読みいただきありがとうございました。

デジタル庁を象徴的に合理化効率化第一主義で市場原理主義、グローバリズムに邁進しているわけですが、そのような0と1の狭い世界であるデジタル社会は0と1の間の無限の世界を知っている人間たちにとってはつまらない社会になっていくことでしょう。

しかし時代は否応なくその方向性へと着々と進むことは間違いありません。

何故なら現代人の多くは常に物事に意味を欲しがるようになっているからです。

必ず意味を求めるということはデジタル社会は得意分野ですからその欲求が人間に高められている時代においてはデジタル社会が隆盛になることは必然です。

しかしながら合理化効率化を突き詰め続けて何でも合理論理で満ち溢れた社会を成し遂げたがそこに人間的な無駄を認める幸せな社会は無くなっていた。

私はその辺りを未来予測しておくわけですが、相場の世界は売買執行システムは自動化デジタル化していても相場をいかに張るかという視点では全くデジタル社会とは迎合しない0と1の間の世界にあり続けると考えていますので相場師で良かったなあということになりますね。

意味のないこと、分からないこと、そういった無駄に見えるところに人間として生きているなあ幸せだなあといった心理形成となる道具が潜んでいると私は何の根拠もなく非論理的に感じているわけですね。

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