鈍感になるということ

独活日記(相場を生き抜くために)

年を取っていくと色々が鈍くなっていきます。

肉体的には見た目だけでなく身体の機能が段々と鈍くなっていくことを感じるわけです。

これはどんなに優れた身体の持ち主でも決して避けられない現実です。

前簡単に出来ていたことが出来にくくなっていきます。

ただ相場においてはこの鈍くなっていくことがむしろ良い効果をもたらすことがあると私は考えています。

今日はこのことを考えてみましょう。

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鈍感になる

肉体的に鈍くなるとともに精神的にも鈍くなっていくと良いですね。

私自身はそのように感じており、実際鈍感というものを体得しつつあります。

あの人は鈍感な人ねえと言うと人の気持ちがわからない人と言った悪い意味でつかわれがちですが、若いころのように機敏に察して機敏に対処するといったことを年を取ってからやろうとすると無理が生じます。そこであまり気にしすぎてもまあ仕方がないといった鈍感な思考になれると非常に上手く生きられるわけです。

相場においては結局相場は自分の思い通りには動かないということが永遠の課題として各投資家たちに叩きつけられ続けますのでそこで鈍感になれている人というのはまあこんなものだろう。完璧になど出来るわけがない、といった鈍感な思考によって相場における総合的成功を獲得する確率が高まっていきます。

鈍いということはこだわらないということ

鋭い人というのは確かに頭が切れるように見えるわけで実際頭が切れるわけですが、ゆえに自分の考えというものに徹底的にこだわりがちです。

自分を疑ってみるということが出来なくなってしまうのです。

そしてその状態になってしまうともう後戻り出来ない取り返しのつかない固定観念の塊の他人の意見を一切受け付けつけない偏屈人間になってしまうわけです。

若者は確かにある程度そういう自分のこだわりを持って進むべきなのですが、いろいろと年月を重ねて経験を積んでいくことで自分のこだわりだけでは生きられないということに気づかされていくことでそういったものを捨て去れるかどうかということが課題となっていきます。

相場ではこの自分の考えへのこだわりがとてもハイリスクな思考になりますのでできる限り避けたい思考なのです。

そこで鈍い人になれるかどうか?

これがカギとなっていきます。

鈍いということは頭が悪いということではなくて自分の考えにさえこだわらないということであり、それは柔軟性があるということです。

鈍感が柔軟性を生み出す

鈍感になると柔軟性を生み出します。

自分の考えがあってそれとはまったく異なる意見があったとしてそこに大きな反発心を湧き起こしたり、反駁したい欲求が膨れ上がってくるということが一切無くなります。

まあそういう考え方もあるよね。

いわゆるこのような老成した大人な思考を持てるのです。

実際この世には様々な事象に対して様々な考えがあり、そしてそれぞれがこう思うという自己主張をすること自体は自由なのです。

ですから自分とは全く異なる考えであって絶対違うと思ったとしてもその意見は尊重されなければならないということです。

別に尊重しても自分はそうは思わないままでいいし、それを実践することも一切ないのですから反発することもありませんし、反駁することもないのです。

これが心の柔軟性というものであり、厳しい意見で突かれてもゴムのように柔らかく伸びて破裂することなく軽く受け流してしまうのです。

相場では顕著にこのような思考が大事です。

自分がこの銘柄が良い、相場はこうなる、経済はああなる、自分の考えを持つことは当然私も含めて誰しも考えるわけですが、心の柔軟性を保持しているととても柔らかい思考なのでこの自分の考えさえも軽く受け流してしまうことが出来るようになっていきます。

相場は市場の考えに従い続けない限り成功し続けることは皆無ですからこの柔軟性を得るために鈍感力というものを培うことが大事になりますね。

注意すべき点

ただし注意すべき点もあります。

鈍感といった場合に、相場の変化に鈍感であることはダメです。

当たり前の話ですね。

相場は日々目まぐるしく変化し続けていますからその流れというものがあります。

その流れというものを機敏に察知して対処しようとすることは常に鈍感にならず敏感に感覚を張り巡らせておかねばなりません。

ここは実際私自身日々相場を眺め続けており、当然鈍感に眺めているわけではなく注意深くその変化の兆しを敏感に察知するべく準備を怠ることはありません。

つまり相場観測という意味では鈍感になってはならず投資家としての心構えという意味で鈍感になってほしいということですね。

シンプルなことを淡々と継続できるか?

最後までお読みいただきありがとうございました。

鈍感になるということは挑戦でもあります。

SNS時代になって情報の洪水を目にしないためにはインターネットに一切アクセスしないことですが、残念ながらこの世のほとんどの人たちがスマホを手にし続けている毎日となってきている現在、そこから積極的に目をそらすにはかなりの意志が必要となってきています。

従って有害情報もどうしても目にしてしまいますので本来得るべきではない危険な情報も含めて各種誰でも得られてしまい思い込み、固執、執着などが生まれやすくなっています。

そこでいかに鈍感になることが出来るか?

私翁のようなどこぞのものとも思えぬ無名の一相場師の語ることなぞ誰も鼻から信用などしないからよいですが、いわゆる肩書の立派なもっともらしい論理的展開で説得してくる有名人などが語ることなどにはどうしても敏感に反応して盲信してしまったりするものです。

いわゆる身なりがビシッと決まったイケメン詐欺師に巧みな話術で勧誘されるとコロッと騙されてしまうような人間になってはいけないということなのですが、多くの人間は身なりがきちんと整っている、外見も整っている、口の上手い人は第一印象としては高評価となり、身なりがずぼらで外見も悪人顔の口下手な人は第一印象としては低評価とみなしてしまいますので実は相手を信用させる上では外面というものは相変わらず大事なのですが、しかしそのことが真理を語っているかどうかの成否には何の参考にもならないわけですね。

相場においてこの情報の洪水への対処法は何か?

結局基本的にはそういう情報を得ようとする依頼心のある習慣を持たずに自分の分析手法を確立してそれを一定の信頼でもって淡々と実践継続できる精神を確立することに集中すること、そして仮にそういう情報に触れてしまっても鈍感に捉えて聞き流してさっさと忘れてしまうこと、この辺りにしか対処法はないのだろうなあと私は考えています。

多くの情報を得れば得るほどますます上手く行くようになるということは決してありません。

大成功者の多くは本当にシンプルなものをただ正しく長期に渡って継続し続けることが出来ているだけであるという事実を見れば相場ではすべてにおいて鈍感に捉えることの大事さが分かってくるのではないでしょうか?

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