タイミングと間

独活日記(相場を生き抜くために)

結局相場を張る上で技術的に何が大事かと言えばタイミングと間を計ることに尽きるということになります。

お笑いでいけば優れた技術を持つ突っ込みの方の人たちに通じるものがあるのではないでしょうか。

仕掛けタイミング手仕舞いタイミング、その適切な瞬間に適切に実践するということが大事になりますし、そのためには間、どのくらいの期間を開けることでそれが適切なタイミングとなるのかというのを計ることが最重要な相場技術となります。

これは正直な話言葉で説明することは難しくそれはお笑いなどでも優れた突っ込みの方とそうではない突っ込みの方とを比較してみるしかないですし、優れた突っ込みの方に聞いたところでそれを論理的に言葉で表現することは難解だと思います。天性の勘といったものと長年培われてきた経験によって作り出されていくものでその多くは感覚的だからです。

私個人はそれほど優れた相場師ではないですから、天性の勘というものは皆無に近いですが、長年培われてきた経験によってある程度こういうものであるというものは養われています。

お笑いの世界ではその程度では一流にはなれないのかもしれませんが、相場では私程度のレベルでも生涯使いきれぬほどの資産を相場で築くことが出来ることが誰にでも出来ますね。

いずれにせよタイミングと間というものがとても相場を張る上で大事となります。

この前提条件がある上でこういった技術よりもずっとずっと重要なこととして投資家の心の問題があるわけですがたまにはこの前提条件となる技術的な話をしてみるのも良いと思いとりあげてみます。

スポンサーリンク

タイミング

お笑いなどでも適切なタイミングで突っ込みを入れないと同じ言葉の掛け合いでも笑いの取れる大きさが異なります。

面白いものですね。

同じ言葉を聞いていてもタイミングが違うと面白さが異なると感じてしまうのが人間なのです。

相場も当然タイミングが違うとその損益額が全く異なります。

ですからいつ仕掛けるのかいつ手仕舞うのかということは相場技術的には大事な話なのです。

相場での問題はお笑いのように結果として笑いが取れたか取れなかったでその良し悪しが判断できないということです。

つまり適切なタイミングでも結果は笑いが取れなかったということが生じてしまうのでどう分析処理したらよいのか困惑してしまうのです。

ここが相場の難しいところだろうと思います。

お笑いより相場の方が技術的理解は易しいものだと私は思います。

ただきちんと分析してそれを正しく習得していくことは難しいのではないかと私は思います。

その大きな理由が技術と結果が結びつかないということです。

タイミングは本当に大事なのですがそれを分析する上で注意しなければいけないことは結果が出た出ないというだけで取捨選択してはならないというところですね。

間を取るということは高等技術なのでしょう。

優れた相場師を見ていると常に間を計っているように見えます。

結構忍耐強く待ち続けたかと思えば怒涛の如く動き出すこともあります。

その人だけの間というものがあり、その間を計って自分の行動指針にしているのでしょう。

私自身を省みると確かにそういうものが自然と出来てきているなあというのを実感します。

ちょっとここは間が悪いなと仕掛けや手仕舞いを躊躇したりすることがあります。

それは不安や恐怖、欲望といった損失を出したくないもっと利益を出したいといったことから来る躊躇ではなく、漠然と止めておいた方が良いと心の叫びがするといった本当に感覚的なものです。

才能はそれほどなくても相場経験を積んでいくとこういったことがなんとなく分かって来ます。

これが間を取るということなのだろうなと思います。

でもやはりこれを言葉で説明することは難しいのです。

その人の感覚的な時間間隔であり、もちろん数字で何秒だ何分だといった確定的なものは何もないですし、状況、環境によってすべて異なっていく不確かな感覚だからです。

いずれにせよ相場では間を取るということはとても大事なことです。

相場を感得するということ

最後までお読みいただきありがとうございました。

相場は確率統計学の世界である。

と言ったときにそれは確かに一理あることなのですが、しかしそれだけで良いのであるなら確率統計学の権威の方々は総じて大富豪になっていなければおかしいのです。

しかし現実はそうはなっていないのは当然ながら確率統計学に詳しいからと言って相場で稼ぎ続けることが出来るとは限らないという純然たる事実があるからです。

結局相場は人間が張るわけです。

AIが自動で売買すると言っても結局そのAIを開発するのは人間なのです。

従って常に不確かさ、人間らしさというものが相場には生じ続け、そこでは確率統計学というものがモノの役に立たない瞬間がやってきます。

ここで大事なことは相場の実践経験に基づいた相場観というものになり、それは相場を感得することということになるわけです。

感得するという言葉が適切かなと考えるのは私だけなのですが、結局良い表現方法が他に見つからないというのが実態です。

言葉で言い表すことは出来ない不確かな感覚なのです。

しかし感覚的に理屈なく相場を理解するということではないのです。

確率統計学による理屈は常に大事なのですが、それだけでは相場への理解は浅いものになるということなのです。

相場への理解を深くするうえで大事なことは相場を感得することということになるのですが、この言葉をどう解釈して下さるかといったことが本当に難しいのです。

相場における偉大なる真理を感じ悟ることというわけなのですが、例えば相場は何事も起こり得るという相場の真理を感じ悟るとはどういった状態の人のことを言うのか、この説明が難しいのです。

言葉をただ理解すれば良いわけではなく言葉の理解などそもそも誰でも容易なわけですが、それを自分の腹にしっかりと落とし込んで実践にしっかりと採用し、それが継続出来る精神状態になっていることと説明してみたりもするわけですが、これもまたいまいちしっくりこない説明となるわけですね。

最後は相場を張り続けていけば分かってくるもの、それが相場を感得するということです。

ということになります。

いやはや言葉って難しいですね。

しかしこれ以上の表現方法を私は知りませんので後はこれを読んだあなたがどう感じるか?私が伝えたいことが正確に伝わっているかどうかは結局分からないということになってしまうのが現実です。

タイトルとURLをコピーしました