相場を張る上でどうしても多くの投資家たちは上手くやろうとしてしまいます。
その根底にあるのは効率良く売買したいという意識です。
確かに効率性というものは大事な要素の一つではあるのですが、それは一理以上のものではなくもっと重要なものがあり、かつこの効率性というものを過剰に意識することの弊害というものも大きいのです。
今日はこの上手くやろうとするということを考えてみたいと思います。
何かを上手くやろうとすること
相場に限らず何事も上手くやりたいものですね。
話し相手を心底楽しませるような会話術を駆使したいですし、上手く絵を描きたい、楽器を演奏したい、上手く勉強して早く上達したい、人間に向上心というものがある限り、この上手くやろうとすることを避けることは難しいのです。
相場においても上手く売買したいと思う気持ちは誰しもあります。
私も例外なく今でももっと上手く売買したいと思っています。
どこで仕掛けどこで手仕舞うのか、どのくらいの資金でどの程度資金投下するのか、大成功をもたらし続ける絶対法則があったら知りたいものです。
しかし残念ながらそんな聖杯はこの世に存在しません。
何かを上手くやろうとすることは向上心がある者であるなら誰でも考えることですが、どんなことでもどれほどの努力を積み重ねようとも、才能があっても、完璧にこなすことになることは永遠にないのです。
効率至上主義の弊害
効率性というものを過剰にも信奉する人たちが少なからずいますが、そこには大きな弊害があります。
売買規則としての基本的な効率性はしっかりと確立しておくべきなのですが、それもあくまで基本的にはというものに過ぎず、そこからどう非効率であるが実践するのかといった応用的な部分が大切になっていきます。
しかし効率至上主義であると何か完ぺきにこなさなければならないだとか、大底で買い大天井で売らねばならないだとか、一年でこれだけの資産増殖を果たさねばならないだとか考えてしまいます。
こういった思考は相場を適切に張っていくことを阻害します。
何故なら相場はあなたの売買手法において効率的な局面と非効率な局面とがランダムに起こり続けているからです。
自分でいくら効率的な手法を編み出したところでそれがいつも相場で通用するものにはならないということですね。
ですから効率至上主義の弊害を認識しましょう。
上手くなりたいと上手くやろうの違い
相場師として上手くなりたい、相場をより適切に張り続けるようになりたいと思うのは向上心のある相場師であるなら誰でも思うことです。
私も今日もより上手くなりたいと思っています。
しかしそれと同時に上手くやろうといった考えを持っていません。
一見矛盾するかのような言葉ですが、上手くなりたいと上手くやろうでは全く意味合いが異なるのです。
上手くなりたいというのは投資家として成長したいということですね。
そこに向けられている思いは自分自身に対してです。
一方で上手くやろうというのは具体的な売買実践においてです。
そこに向けられている思いは目の前の取引に対してです。
この違いをしっかりと理解してください。
上手くなりたい
上手くなりたいという気持ちはそのまま投資家の成長を促します。
単なる知識の深化ではなく、適切な実践、その継続、それが出来る精神確立、その維持、こういったことをより強靭に出来やすくする想いとなります。
それはあらゆるプロフェッショナルな分野における人たちの言を見れば分かるでしょう。
総じてもっと上手くなりたいという向上心を忘れることなく日々研鑽を怠っていませんね。
自分自身の強い想いが確かにその実現の有力な補助器具となり得るのです。
もうこれでいいやと思った瞬間から人の成長は止まります。
そういう意味で相場をもっと上手く張れるようになりたいという気持ちは生涯持ち続ける必要があります。
上手くやろう
一方で上手くやろうという気持ちは投資家のミスを誘発します。
そこに潜むのは完璧主義、効率至上主義で一つ一つの取引で上手くやれる、つまり利益を上手く掠め取ることが出来なければならないという傲慢な思いにつながりやすくなるのです。
しかし相場格言にも上手くやる必要のないもので満ち溢れています。
頭と尻尾はくれてやれ
利食い千人力
見切り千両損切り万両
いずれも相場では上手くやろうとすることはないよと述べている格言です。
相場を張る上で上手くやろうとした瞬間から投資家としての破綻が開始します。
ですから上手くやろうという気持ちは一切持ってはいけないということを認識しましょう。
確率的思考
最後までお読みいただきありがとうございました。
今日も何とか上手くやろうとする投資家たちで満ち溢れています。
しかしそこに相場で成功し続ける投資家になるための真理はありません。
上手くやろうとするのではなく適切にやろうとすることが大事です。
下手でも適切なら即実践すべきなのです。
この意味が分かりますかね?
言い換えれば確率的思考で相場に臨んでいるということです。
目の前の取引において上手くいくかもしれないし下手こくかもしれない。
適切とはあくまでそれを行えば適切なリスクを取ってそれに応じた十分なリターンの得られる確率が十分に高い事象かどうかということであり、それが結果リスクが露呈して下手こくか、リターンが得られて上手くいくかどちらかになるだけの話だからです。
今日も結局また同じ真理に行き着きましたね。
相場では上手くやろうする必要など全くありません。
上手かろうが下手かろうが適切な売買実践継続出来れば投資家としての成功は確約されているのです。
後はただただその途上における心を揺るがせる事象に対して一切動じずに淡々と継続できる精神確立が出来るかといった投資家の心の問題なのです。
投資家としての自分自身の成長を目標としたもっと上手くなりたいという想いは大切ですが、上手くやる必要は全くないということに気づかなければなりません。