何かを知れば知るほど人は成長したように考えます。
確かに知識は増えました。
クイズに全問正解するような幅広い知識を持った人たちはこの世に多くいます。
その知識を生かせれば人生に役立つのかもしれませんね。
しかし相場では知ることはそのまま相場をよりよく張れるということには必ずしもつながりません。
今日はこのことをじっくりと考えてみたいと思います。
知識というもの
知識というものは無限にあります。
百科全書のようにあらゆる分野の知識を得ている人もおられますね。
それはそれで一つの才能とも言えるのでしょうが、現代においてはその知識というものはググれば誰でも一応の答えは探し当てることが可能となってしまっておりただ知識を持っているだけの人の価値は下がっています。
相場に関しても企業分析、業界分析、財務諸表分析、ファンダメンタル分析、テクニカル分析、ありとあらゆる知識が至る所に転がっています。
そういう解説記事を見るたびに何か自分は投資家として成長したかのように錯覚しているのが多くの人たちの共通点のようです。
しかし相場に関してはここに大きな落とし穴があります。
知識は相場を良く張れることと比例関係にない
残念ながらこれが真理となります。
何故そうなるのでしょうか?
それは人間は知識を得れば得るほど少しずつそのそれぞれの知識に固定観念を抱き、固執しやすくなっていくからです。
自分はこれを知った、これだけのことを知っている、それが相場を張る上できっと有用となっていく。
株価が上がった理由、株価が下がった理由の説明にこれだというものを見つけた感を積み重ねていってしまうのです。
しかし天邪鬼な相場の値動きはそういった投資家の思考を考慮しません。
つまりその知識から得たものを相場で役立つと思わせるような反応を必ずしも示さないということです。
そしてまた新しい知識を求めて彷徨い続けていきます。
むしろ反比例関係にある
私はそう考えています。
ファンダメンタル分析にしてもテクニカル分析にしても何をしてもそういった知識が投資家の仕掛けの決断を躊躇させたりこだわらせてしまうことがほとんどなのです。
これこれこういうことだからこうなるはずである。
そこにあるのは常に過剰な知識をその取引に詰め込んでしまっているということであり、それが適切かつ迅速な売買を阻害してしまうことが分かっているからです。
相場の知識を得れば得るほどますますその投資家は適切に売買を繰り返すことが出来にくくなっていってしまうというのが真実のようです。
知識は限定せよ
知識は限定した方がよいでしょう。
全く何の知識もなく相場を張るということはハイリスクとなることは間違いないのですがあらゆる知識に精通していることはむしろ害となってしまいます。
ですから最低限の知識に留める、つまりは優位性のある手法を使って正しい資金管理で継続することに集中するということです。
私のような相場師を例に出すなら経営者の語る言葉などを逐一チェックはしませんし、プレゼンテーション資料などを見ることはありません。財務諸表は見ますが別に投資判断における財務分析のためではなくあくまでどういう現状の企業なのかを最低限知るためのものでしかありません。ファンダメンタル分析はしませんし、テクニカル分析も私が見るのは足組と出来高、移動平均線のみです。
本当に簡素な限定された知識を使って長年売買を繰り返しています。
そしてそうすることによってその企業への投資を躊躇させる粗を大いに見逃し、こだわらせる可能性を大いにもたらす薔薇色の将来性やらを全く知ることなく適切な売買を繰り返すことに集中することが出来るのです。
知識は何でもかんでも得ればよいわけではない
最後までお読みいただきありがとうございました。
知識を得ることは楽しいことです。
私も知的好奇心で多くの知識を得るべく書物を読んだりテレビを見たり、インターネットを検索したりします。
しかし相場を張るということに関して知識は何でもかんでも得ればよいわけではないということに気づいてください。
多くの知識があなたの行動を躊躇させたりこだわらせてしまうのです。
強欲に底値から天井まですべてを取り切りたいと考えてはいけないように、知識もまた足るを知って適度に有効活用していくことが大事なのですね。