勝負師たるもの勝負して初めて勝負師である。
これはその通りでいわゆるガッツ、根性といったものがない勝負師が勝負し続ける精神を保つことは難しいのが実情です。
ですから勝負師は常に勝負したいと思っていますし、故にスポーツ選手などでは怪我のリスクが高まります。
大谷選手は残念でしたね。
現段階ではまだ打撃はやっていくようですが、怪我を治さないままにだましだましプレーを続けることは彼の将来にとって有益なのかどうかは難しいところです。
最終的には大谷選手自身の人生ですから自分で決断すべきであるというのはその通りですが、すべてを自己責任として片づけて自己判断に任せ続けた結果が悪いものが出てしまっている現状ではやはり誰か強く言って休むことを説得すべき人の存在が必要な気もします。
かくいう私も自己管理というものには苦労してきました。
自分のことは自分がよく分かるというのはその通りなのですが、逆に自分以外の人だからこそ自分のことを客観的に良く見えるといったこともあるというのが事実です。
従って自分だけで自己管理するよりも信頼できる人の言葉を信じて自分の考えを排してそれを採用するといった決断も人生においては必要な局面もあるのではないだろうかというのが大谷選手に関しての考えですね。
いずれにせよ前人未到の世界一のプロ野球選手ですからいわゆる過去のデータがない環境に置いているわけで正確に分析できることはないですし、大谷選手自身の経験がそのまま将来の二刀流に挑む選手たちの過去の参考データになっていくということになるのでしょう。
そういう意味では怪我は非常にリスク高く付きまとう選手であることは間違いないことであり今回は再びそれが露呈してしまったということになります。
残念ですが、スポーツ選手はどれほど丁寧にケアをしていても怪我を完全に避けることは出来ず、自己管理にしてもこれで絶対大丈夫というものは何もありません。
様々な批判はありますが、そういった結果論はお門違いだなと私は思います。
二刀流自体が体力的に不可能と言われていたわけで故に疲弊する怪我をするリスクは通常以上であることは明らかでしかしそれでもそこに挑戦するという若者がたった一人いたわけですからその大谷選手の生き様をこれからも暖かく見守るというのがとてもそんな領域に達することは出来ていない前人未到なことなどしていないその他の我々すべての凡人たちの姿勢であるべきなのでしょう。
相場を張らない勇気
同じ勝負師として今回の大谷選手の怪我までの奮闘を見ていて思うことはやはり自己管理は難しいんだよねえということです。
プロである以上技術的なものは当然一定水準以上のものを維持し続けることは容易なのですが、問題は自己管理でどうしても勝負したいという気持ちが勝って怪我のリスクを大きく負ってしまうことがあるのです。
大谷選手ほどの自己管理を徹底してきたはずの人間でさえ結果怪我を再びしてしまったといったことになるわけですから誰でも容易に理解できるでしょう。
相場師の課題も常にそこにあります。
過剰な取引、余計な取引を自分の損益状況や資産推移、相場以外のことでの何らかの精神的影響によって犯してしまうのです。
この辺の精神的な部分におけるマネジメント、監督してくれる立場の人間がいることはとても大切なのですが、実際証券会社に所属するトレーダーなどはそういう人に強制的に戒められて相場を張れなくなるわけですが、個人ではそれを自制する機能を自分で確立しなければならないという点で非常に難しいのです。
銘柄選択やら売買手法といった相場技術の問題ではないのですね。
勝負したい欲求をどの程度抑制し、いかに大怪我をせずに勝負に参加できるという最低限の環境を維持し続けるのか?
これはどれほどの偉大な選手にとっても最大の課題であるべきでそのためには苦渋の決断で目の前の勝負を不参加にするといった英断が必要な局面があるのです。
相場を張らない勇気というものを持てるかどうか?
すべての投資家に日々問われ続けている命題です。
いつ相場を張らずにいるべきか?
ではそういった局面はどんなときでしょうか?
一つはもちろんあなたのやっていることが通用しない相場環境にあるときですね。
私はトレンドフォロワーですから全体的にトレンドが出来ている局面、市場しか私は相場を張りません。
それ以外の局面、市場には一切不参加ということになりますね。
逆にレンジ売買を基本としているトレーダーはトレンドが出ている局面においては相場を張るべきではないということになります。
これは相場技術的な側面におけるものですね。
そしてもう一つはもちろん投資家自身の精神が乱れているとき、つまり適切に相場を張れない状況にある局面においては一切相場を張るべきではないということです。
こちらは非常に難しい自己判断になります。
まったく気づかぬままにいる場合もあります。
肉親の死別とか何か他人に酷いことを言われたとか、俺はこれくらい儲かったと嫉妬心を煽られたとか、そういった大小様々な精神的影響によって相場を張るべきではない局面が生まれてしまうからです。
丁寧に自分の現在の精神を観察して正確に分析し行動に繋げていくことはとても難しいのです。
しかしそれでも精神確立無くして相場を張るべきではありません。
チームのためというものがあってもハイリスクを感じたら勝負を避ける、試合に出ないといった利己主義に見える決断をしなければなりません。
これが本当に難しい。
人生においては怪我を押して出場して活躍する姿を見せるということで感動を呼びドラマになりますが、その選手自身の長い継続した活躍確率を高めるためには最低の行動ということになるのです。
いつ相場を張らずにいるべきか?
結局は適切に相場を張れる状態にない場合はどれほど相場環境が良くても一切相場を張ってはいけないということになります。
習慣の効用
最後までお読みいただきありがとうございました。
大谷選手の生き様はとても素晴らしいと私は考えています。
自己犠牲ではないですが、チームのために、チームの勝利のために日々いかに活躍するかということだけを考えて日々生きているように私には見えます。
それはとても崇高なことです。
ただ結果怪我をしてしまったという事実も残ります。
最終的にはバランスということになるのでしょう。
目先の勝利を求めて無理をすることは長期的総合的勝利を求める上では非常に悪い行動です。
ここに関してどれほどの比重で重要視するか?
このあたりにヒントがあるのでしょうね。
相場も同様で、積極果敢に勝負すべきときももちろんあるのですが、一切勝負しない勇気を持って行動することもとても大事なのです。
サラリーマンのように毎日9時から5時まで会社勤めするといったことを相場師は一切すべきではないのです。
ここが実は非常に難しいことなのです。
習慣というものは人間にとってとても重要なことのようです。
毎日会社に定時に行って定時に帰るという習慣が大怪我をしない大きなことなのです。
相場師にとってはこの辺に定時というものではないルーティーンというか習慣といったものを相場を張っていく上でどう形成するかといったことが課題となっていくということなのかもしれませんね。