人間は傾向として二つのタイプに分けられます。
自分を自信過剰にも信じて自分は何でもできると思い決して自分の考えを曲げない人と自分をあまりにも卑下して信じず自分は何もできないと思い決して自分の考えを肯定しない人です。
評論家などは前者がほとんどですね。自己主張をしそれを絶対に曲げることなく、相手を論破して悦に入り、間違っても謝罪せず、自己正当化する人間ばかりです。特に経済評論家などは最悪で相場のことを知らないくせに相場のことをああだこうだと主張してくるので困ったものです。
とまあ私翁の相変わらずの愚痴はともかくとして、相場においても投資家としての思考としてこの二種に分類されます。
片方は自信過剰にも自分の選択銘柄にこだわり続ける売買をし、もう片方は不安を抱えて選択銘柄も他人に委ねて優柔不断に右往左往する売買をしています。
従って私は表題の言葉を述べたわけですが今日はこの信じるということを少し考えてみたいと思います。
信じるとは
信じるとは文字通り人の言葉を信じる信じないといったものです。
人の言は様々です。
今回大騒ぎをしている新型コロナウイルスに関しても専門家であってもたいしたことはないと言う人や非常に危険であると言う人がいます。
我々素人から見れば専門家の言った言葉なのだから信じたいと思うのが普通ですが、人によって逆の話をしているとなるとどちらを信じたらよいのか分からなくなっていきます。
本質的にはまだ未知なるウイルスでその実態は完全に解明されたわけではないのですから大丈夫とも危険とも言えない、つまり専門家であっても正確なことはわかるわけがないというの正解です。
しかしそれではマスメディアも面白くないですのでなんとかネタを探してあれこれ要らぬことを専門家内でわかっていればいいだけの必要性のない情報まで大衆に扇動するために事細やかに解説してもらうといったことをしています。
そういうことをされるとますます素人は何を信じてよいかわからなくなり、むしろ専門的なことがわからない故にむしろ不安や恐怖を増幅してしまいパニックになってしまうのです。
信じるとは正しい事を信じるという意味では誠に困難なことなのですね。
自分を信じる
自分はこう思う。
こう思っている自分を信じる。
これが信念というものです。
論理的に納得して信念となる人もいれば直感的に納得して信念となる人もいますが、いずれにせよ自分を信じるということは自分の言行が正しいと思うということになります。
このこと自体は人生という意味では自由です。
限りある人生をどのような言行で生きていくのかはそれぞれがまさに自分で考えていけばよいことだからです。
ただ相場では残念ながらこれが通用しません。
なぜなら市場はとある投資家の考えなど全く考慮しないからです。
どんなに将来性があると思う銘柄であっても、どんなに割安すぎると思う銘柄であってもどんどん株価が下がり続ける銘柄というものは常に存在しています。
全体相場環境がどんな高成長銘柄でも優良銘柄でも株価を暴落させますし、ボロ株でも上場ゴールな業績停滞株でも高嶺の花株価へと導くことがあります。それは今日現在のコロナショック相場でまさに実体験なされているでしょうし、配当利回り投資などをしている方々は痛感なされていることでしょう。
こんなときに自分を信じるとして堅く堅く自己過信してしまうと相場では早晩退散させられることになります。
ただ一方で自分を信じなければ相場を張ることを勇気を出して実践することが出来ません。
ですから何かしら相場においても自分を信じることができるものが一定程度なければなりません。
つまり自分を信じることはしなければなりません。
自分を信じない
自分の考えは果たして本当に正しいのだろうか?
そう自分を疑う思考というものが自分を信じないということになります。
そうすることで自己客観視することが可能となり、正解へと導かれる確率は高まります。
ただ自分を信じないということは自己否定といった側面が生まれやすく、そのことによっていわゆるネガティブ思考、自己卑下、自暴自棄などに陥りやすくなってしまいます。
相場では自分を信じられないわけですから常に不安や恐怖を抱えており、何か適切なアドバイスをしてくれることを望み、あらゆる関連情報を得ようとして右往左往し、何か安心ができる人や物に依存するようになってしまいます。新型コロナウイルスに関しての少なからずの人たちの過剰な不安や恐怖を抱いている人の心理と同様です。
それは結局情報過多を生み、リスクを取って行動を出来にくくする投資家を生んでしまい、様々な迅速な行動が求められる局面でことごとく失敗を犯してしまうことになります。
しかし一方で自信過剰にも自分の考えにこだわることは危険です。
何故なら自分の思い通りに相場はいつもいつも動くわけではないからです。
仮に自分の考えが論理的には正しいとしても、市場がその通りに動くとは限りません。
ですから何かしら相場においても自分を信じないことができるものが一定程度なければなりません。
つまり自分を信じないこともしなければなりません。
自分を信じて自分を信じず
というわけでこの題目となるわけです。
自分を信じながら自分を信じない矛盾した微妙な精神形成がとても大事なのです。
具体的に行きましょう。
まず仕掛けるとき自分を信じて行動しなければなりません。
損失を出すことになってしまうのではないか、本当に上手く行くだろうかそういった自己不信を抱いていては適切な仕掛けに躊躇することになってしまいます。
一定の自己信頼をして勇気を出して行動する必要があります。
次に手仕舞うとき自分を信じず行動しなければなりません。
もう少し待てばもっと利益が出るのではないだろうか?もう少し待てば含み損が減るのではないだろうか?こういった根拠なき期待感を抱いて自分を信じようとしてしまうことは厳禁です。
一切自分を信じることなく損益状況がどうであれ適切に手仕舞う必要があります。
つまり仕掛けを実践する瞬間は自分を信じて行動し、手仕舞いを実践する瞬間は自分を信じずに行動するということになります。
常に頭をまっさらに
最後までお読みいただきありがとうございました。
投資家として成功し続けるための精神確立が大事であると私はいつも述べ続けておりますが、自分を信じながら信じないといった禅問答のような相矛盾した精神を保持するといった微妙な按配が大事となってきます。
こういった精神を保つためには常に頭をまっさらにしておく必要があります。
いわゆる巷にはびこる相場情報なるものを排除し、何らかの偏り、バイアスがかからない自分自身を形成しておかねばなりません。
そして自分のやるべきことだけに集中し、それを全取引で出来るように精神確立をする、そのための思考として自分を信じて自分を信じずといった思考が大事となるわけですね。
そのための具体的方策として信じて仕掛け信じず手仕舞うといった例を一つ挙げました。
本質的には仕掛けも手仕舞いも自分を信じて自分を信じない頭をまっさらにした精神で実践することが大事なのですが、敢えてこう分けて述べた理由はもちろんあります。
それは仕掛けはより自分を信じる方向性へと精神を傾けておくことで躊躇が抑制され積極的に失敗を恐れずに行ける確率が高まるのですね。もちろん自信過剰にも余計な仕掛けをしてしまうという点では自分を信じない観点も大事なのですが、比重を自分を信じる側に傾けていくことで平衡がとれると私は考えているからです。一方で手仕舞いはより自分を信じない方向性へと精神を傾けておくことであらゆる予期せぬ事態に対して迅速に手仕舞いが出来る確率が高まります。もちろんこのタイミングで手仕舞いするということに対しての一定の自己信頼を持ち続けることが大事であるという意味で自分を信じる観点も大事なのですが、比重を自分を信じない側に傾けていくことで平衡がとれると私は考えているからです。
禅においては『空』の状態になるといったことなのですが別に相場においてはそんな悟り人になる必要はないですしなれるわけがないですから、大事なことは常に頭をまっさらにしておく環境作りを自分自身に課すようにするということになりますね。
情報過多なSNS時代においては難しいかもしれませんが、ぜひとも今日からあなたも実践してみてくださいね。