私は相場師を仕事としています。
従っていつも相場師としての観点からあらゆる物事を分析判断しています。
当然ながらそれが絶対的に正しいと述べているわけではなく良く言えば生き方の問題、悪く言えば職業病となっているわけですね。
しかしどんな仕事をしていても誰しもが大抵はその仕事をプロフェッショナルにこなすことに時間をかけているわけですからそのような立場から考えるということをしてしまうものです。
そして相場師は受容するということをとても大事にしています。
だから新型コロナウイルスの社会的受容をすべきと感染拡大初動時から私は何度も繰り返し言い続けているわけですね。
世の中にはどうにもならないことはあるのです。
新型コロナウイルスはそのようなウイルスです。
完全シャットアウトしたいなら世界中で経済活動をすべて停止して全人類が永久に家に閉じこもり続ける必要があります。
しかしそれでも何らかの媒体を介してウイルスは潜伏し続けることが可能であるかもしれません。
それよりも何よりも経済活動をしなくなれば我々人類は生きられません。
皆がそれぞれの仕事に日々邁進し続けるからこそ経済活動が生まれ助け合いが生まれ人として生きていくことが出来るのです。
それを犠牲にしてでも新型コロナウイルスの感染阻止、死者をゼロにするためにロックダウン等をし続けることをするのはあまりに理不尽な話であり、経済的死をもたらされる人がコロナウイルスによる死亡者を上回る環境にすることであり、社会的な不安定ももたらしていくのですね。
ですから社会的受容をすべきなのです。
感染阻止など永遠に出来ないのだから粛々と受容していく、こういった姿勢が人類には必要だと思うのですが、残念ながら一介の無名の相場師の言では全く浸透しないというのが現実ですね。
相場はいつも市場の考えが正しい
相場においても受容出来ない投資家たちで満ち溢れています。
今日も私の○○銘柄が大化けする、最高だとして徹底的にこだわっています。
こだわるべきことが間違っている投資家ということなのですが、相場はいつも市場の考えが正しいということを理解していないということになりますね。
理解しているなら自分の考えにこだわるはずがないからです。
情報過多の問題も私はよく指摘していますね。
こちらも同様です。
相場は情報を調べ尽くせば分かると思っている投資家が多数なのです。
しかし本当に情報が相場での成功の最重要な鍵であるならコンピューターが最強の投資家でなければなりません。
何故なら世界中のあらゆる情報を適切に分析解析する能力は人間の比でなく正確無比に迅速に行えるからです。
人間である投資家を凌駕して圧倒的成績を叩き出すコンピューターが出ていなくてはおかしいのですね。
しかし現実はそういうものは出てきていません。
圧倒的成績を残しているのは人間の投資家なのです。
ですからこの分水嶺となるのは相場はいつも市場の考えが正しいと認識して自分の考えを相場実践に持ち込まずに淡々と市場の考えに従い続ける投資家であるかどうかということになるわけですね。
市場の考えの受容
市場の考えの受容がすべての鍵です。
自分の考えを持つことはしてもよい、というより必ず誰しも自分の考えを持ちますからそこは仕方がないのですがそれを相場実践に持ち込んでは決していけないのです。
具体的には買いだと思って仕掛けたが株価が下がったら手仕舞うこと
これを全取引例外なく適用するということです。
これだけで良いのです。
これだけで成功し続ける投資家なのです。
しかし実際にはほとんどの投資家たちがこれだけが出来ないのです。
自分の考えにこだわり、自己正当化に終始し、大幅な含み損状態ということを無視して放置していくのです。
それは多くの情報に触れて勉強し努力し自分の考えが確立した投資家であればあるほどそこに大きなこだわりを持って相場実践に持ち込んでしまいがちだからです。
ここが本当に投資家として生涯成功し続けることが出来るかどうかの分かれ道となっているのですが、大抵はこのことに思い至ることなくもっと勉強すればもっと情報を得れば相場が上手くなると考えてしまいます。
そして投資家人生において大成功を収めることなく消えていく人がほとんどとなります。
市場の考えの受容をするだけなのですが、コロナパニック症状にあるとウイルスの専門家でさえ新型コロナウイルスの受容が出来なくなって感染阻止しなければならないといった自分の考えに固執してしまうようになるように、相場のこの『だけ』が本当に難しく多くの情報を得て頭でっかちになっていけばいくほど自分の考えに拘る投資家が作り上げられていくということになってしまうのです。
市場の考えの受容をいかに為すか?
投資家の課題は今も昔も変わらず、将来も変わらずこの投資家の心の問題のみなのです。
いかにして受容するのか?
これは新型コロナウイルスに対しても同様なのですが受容するということは多くの人たちにとっては困難なことのようです。
インフルエンザと大差ないウイルスであると述べてもそんなの嘘だとなってしまうのです。
いや確かに厳密には異なるウイルスですよ。
異なるから違う名称で呼ばれているわけですからね。
しかし本質は全く他の多くのウイルスと違いはなく、ウイルスの感染力と致死率の反比例の法則にも一致することが明らかになっていますし、変異し続けることも分かっていますし、どんどん弱毒化していっていることも分かっているのです。
もうすでに現段階でウイルスの脅威の問題ではなく人間のパニック症による人災の段階になっているのですね。
コロナ感染阻止ではなくいかにして人災の阻止をするかといった段階に入っていてそのためには指定感染症から外す実践をするだけなのです。
こんな簡単なことが出来ない人類というのは情けない限りなのですが、つまりは相変わらず受容出来ていないということなのですね。
相場も日々市場の考えを受容し続ければ投資家としての長期的継続的成功は確実なのですが、多くの投資家たちは自分の考えにこだわり市場の考えを受容することが出来ないのです。
これをどうやって受容するのか?
ここが最も大事な点です。
市場の考えの絶対性を理解するという点では神と底辺と題して私はこのブログで述べましたね。
そこでも述べていますが相場を張る上でいかに謙虚な姿勢で取り組むかといったことが受容のためには大事ですね。
謙虚さが見えない人たちというのはどうしても自分の考えに絶対性、自信過剰を保持していますから特定銘柄に集中買いしていたりといった傲慢さが見えています。
それは結局継続した投資家としての成功をもたらすことはないのですが、そういった人たちは今ある現実を受け入れることは出来ずに将来変わってくるはずだ良化してくるはずだと自分に都合よく考えて拘り続けてしまいますので決して私の忠告を聞き入れることがありません。
あなたがどういう考えを持っていてもそのポジションが含み益拡大をしていないのであるならあなたの売買タイミングは間違っていたのです。
謙虚にそのことを認めて手仕舞いしましょう。
自分は何者のものぞといった謙虚な姿勢で相場に取り組む、この投資家の心がどんな銘柄選択法よりも売買手法よりも相場の知識、経済の知識よりもずっとずっと大切なことなのです。
あなたは私翁を受容出来るか?
最後までお読みいただきありがとうございました。
私翁のこの相変わらずの主張を受容出来るか?
結局ここにいつも行き着きますね。
現在のような易しすぎる相場環境ではなかなか響かない投資家たちで満たされます。
何故なら下値になったら難平し続けて上がるまで待てばよいという考えでも結果が出得る相場環境だからです。
しかしそこに落とし穴があります。
相場というのは何事も起こり得るということを忘れてはいけないのですね。
でも忘れてしまうでしょうねえ。
相場での継続した成功はいつも投資家の心の問題に尽きます。
これ以外にはありません。
どんなに相場の知識を増やそうとも売買技術を磨こうとも、精神確立が出来ていない投資家の末路は決まってしまいます。
ぜひとも長年相場で成功し続けている、一過性の成功ではない成功を収め続けている、どんな相場環境であれ一貫して利益を出し続けている私翁の言葉を受容してください。
巷には無数の相場のくだらない情報が飛び交っている中でただただ私のことを信じてくれというのは至極困難なことなのですが、結局は自分自身で大失態を犯して初めて理解できる投資家が多数であるということを私は理解しているのですが、それでも私はやはり必死に訴えかけることしか出来ないのです。