大谷選手の通訳がギャンブル依存症を表明して大谷選手の口座からお金を窃盗したということが大谷選手自身の口から明らかになりギャンブルというものが再び脚光を浴びている昨今ですね。
私のような相場師も当然ギャンブラーかのごとき一般の人たちには見られてしまいます。
それはギャンブルというものは何なのかご存じないだけなのだろうと思います。
従って今日はギャンブルというものを考えてみたいと思います。
ギャンブルの定義
ギャンブルを定義する上で考えるべきは一つで期待値がプラスかマイナスかということに尽きるということになります。
期待値がプラスならギャンブルではありませんし、マイナスならギャンブルであるということになります。
そして多くの人たちは私はギャンブルなどしたことがないと競馬や競艇、競輪などをイメージしてそんなところに足を運んだことは一度もないことを誇ったりしています。
しかし宝くじは期待値が大幅マイナスのギャンブルです。
宝くじは売れば売るほど胴元が大儲けするとんでもなく酷いギャンブルなのです。
このことは意外と知られておらず宝くじは夢を買うものだ庶民の味方だとギャンブルというイメージはない人が少なからずなのです。
米国ではギャンブルがオンラインで気軽にあらゆる事象にベットして楽しむといった時代に入っており、日本でもカジノ構想などが政府で検討されていて実践されていく時代の到来も近いかもしれません。こういったものは総じて胴元が儲かる、つまり集めた資金に対して胴元が利益を出せるほどに取ってしまうのでギャンブラーたちは残りのわずかな資金の奪い合いとなり、結局やり続ければ確実に総合的に負けていくゲームということになるわけです。
つまり遊びとして、ひと時の興奮を味わうエンターテインメントとしてその参加料を払っていると考えるなら全然ギャンブルを楽しめばよいのです。
しかしそれで長期的に稼ぎ続けることは絶対にできないものがギャンブルです。
それはただただ期待値がマイナスのものなので大数の法則から試行回数が極大になっていけば必ず賭けた資金は減り消えていくことが確実なのですね。
なぜそれでも賭けてしまうのか?
そこは単純に依存症という病気であると考えることも妥当です。
これはギャンブルに限らず、アルコールに依存したり、性欲に依存したり、食欲に依存したり、特定の誰かを教祖のように依存したり、何か特定の者、物に依存してしまうことは誰にでもあり得て、その人間心理がギャンブルに負ければ負けるほどなおさら大金を賭けて取り戻さなければならないという心理に陥っていくということになります。
株式市場も実はそういった側面があって大損したりするとそれを取り戻せる以上の利益を出さなければならないと強迫観念を抱いてしまってさらに大損してしまう間違った取引をしてしまうということがよくあり、これはギャンブルであるということになるわけですね。
従って相場を張るのもギャンブルであると述べる人も一理あります。
相場もいくらでも期待値マイナスに張ることは誰でも容易にできますから分かっていてやっているならともかく依存症的に張ってしまっているならすぐにでも相場を張るのを止めなければなりません。
ギャンブルの興奮
興奮を得られるということもまたギャンブルの魅力です。
スポーツ観戦などただ観戦してそのスポーツを楽しめばよいじゃないかという考えもあり私個人的にはその意見に賛成なのですが、そこに自分の予想通りに行ったらお金も儲かって猶更嬉しい、楽しいといった興奮を得たいと考えている人たちも少なからずでそこに大きなビジネスがあることで米国では違法賭博を除去していく意味でも合法賭博として各州で合法化されていっている現状ということになるわけです。
人はやはり興奮することで人生楽しめますから、何かに興奮したいわけで、ギャンブルが介在することでそれは倍加していくということになります。
相場もこういった興奮を求めている人も後を絶たないですね。
私は仕事ですから興奮を感じることは全く無くなっています。儲かっても損しても大利を出しても大損を出してもそこに大きな感情の起伏が生まれることは全くありません。
相場はある意味でギャンブルの場にもなるわけですが、仕事にした時点でその興奮は一切無くなります。
そういう意味ではあなたが相場を張っていて保有銘柄の株価が気になって仕方がないとか含み益拡大で興奮を感じているだとかしているならそれは危険な状況であり、ギャンブルとなっているリスクが非常に高いと認識できるということになりますね。
よく自己を見つめてみると良いでしょう。
そして興奮していると感じたならすべてのポジションを手仕舞ってもう一度自分自身を省みてみることを強くお勧めします。
ギャンブルの興奮の魅力は麻薬のように人を陥れます。
独立心
最後までお読みいただきありがとうございました。
野球小僧の大谷選手が違法賭博どころか賭博自体やるわけがないと私は感じていますが、ギャンブル依存症を告白した通訳の方の気持ちもよくわかります。ギャンブルは嵌る人は嵌るし嵌らない人は全く嵌らないものです。
ですから合法賭博として自己資産の範囲内で賭ける分にはまあ個人の自由となり米国ではそこまでは合法化されたわけですね。しかしつけ払いのような借金をして自分の身の丈以上にギャンブルに手を染めるのは違法賭博として米国でも相変わらず禁止され続けているわけですね。
依存症は長期にわたる治療をしていかなければ何度でも同じ過ちを繰り返してしまいます。
その人の人間性が良い人がどうか、優しそうに見えるだとか有能だとかそういうことは全く関係なくギャンブルの虜になってしまう依存症な方々は常に一定数存在し続けているわけです。
独立心が最も大事な相場師という仕事をしている私から見ると何かに依存する人たちというのは甘いなあと思わざるを得ないですが、相場でもまたそのような素晴らしい肩書を持った相場の専門家のように見える素人たちの考えに依存している投資家なども少なからずですから、依存症というものはギャンブルに限らずあらゆることに対して人が陥ってしまう症状なのだろうなあと感じる今日この頃です。