この世はすべて不確実性の中に存在しています。
我々一人一人の人生も確実なことは何もありません。
自分では確実に明日も生きているだろうと確信しているかもしれませんが、明日死ぬことになっている可能性もあるのです。
今圧倒的話題となっている新型コロナウイルスも実態はまだ完全には解明されていません。
その段階でいろんな人がいろんな思惑を持って憶測を述べています。
誰がこう言っていたあの国ならあり得る話だとかいったものは総じて大衆の恐怖を煽るだけで現実的ではありませんね。
しかしあらゆる事象において絶対確実といったものは何もありませんので不確実性の論理からはあらゆる事象が総じて間違いである可能性を抱えながらそれが良いあれが悪い、これが正しいあれが間違っているとしているだけの未知なるリスクを含んだものなのです。
ですから新型コロナウイルスもまた結局人間にどれほどの脅威となるかは誰にも確かなことは分かりません。
あるのは様々な人が様々な立場で様々な思惑で様々な自己分析で様々な主張をするということになります。
だから私の場合はそういった誰々が言っているという話ではなく感染者数とか致死率とか症例データといった事実として結果として出ている数字のみで判断するのが誤ったパニックを起こすことなく概ね正しい見解を導き出す確率の高い材料であると考えているわけですね。
いずれにせよ相場においても例外なく常にこの不確実性というものの中にあって投資家は売買していかねばなりません。
今日はこの大事な不確実性について考えてみたいと思います。
不確実性とは何か?
まずは不確実性という言葉について考えてみましょう。
辞書的な意味は事象が確実ではないということとなります。
まさに文字通りですね。
事象が確実ではないということはどういうことでしょうか?
たとえばあなたが車を運転するとします。
当然ながら目的地に滞りなく到着することをあなたは確信しているかと思います。
そして実際その通りの結果が生じます。
それが大抵の結果となるわけですが、これは絶対的に起こる将来ではないということです。
運転中に不測の事態が起こる可能性、いきなり人が飛び込んでくるだとか、心臓発作が突然起こってしまうだとか、そういった事象が偶然重なってしまって交通事故を引き起こしてしまう確率は常にゼロではないということですね。
極々低確率な話なのですが、今日この瞬間にそれがあなたに起こることは常にあり得る。
これが不確実性ということになります。
相場は不確実性の中に常にある
まずはこのことを認識しましょう。
相場は不確実性の中に常にあるのです。
株価が上がるか下がるか基本的にはそれだけの話なのですが、株価が上がっているように見えてそれが突然下がりだしたり、株価が下がっているように見えてそれが突然上がり出したりします。
そこに絶対的な法則はなく、そのタイミングも常にアットランダム、偶然であり、いつなんどきどうなるか全く分からないといったことになります。
それ故にその不確実性から多くの投資家たちは翻弄されるわけですね。
上がると思って買ったら下がった、下がると思って空売ったら上がったということに頻繁に遭遇することになります。
これは私も含め誰しもが起こり得ることとなります。
絶対に避けることは出来ないことである。
これを理解することから成功し続ける投資家であるための精神確立が始まります。
不確実性の中でどう生きるか?
つまりは何をやってもやらなくても、上手くやったと思っても、論理的に正確にタイミングよくやったと思っても、不確実性の中ではそれらすべてが不確かなものであるということを理解するということが大事なのです。
それはだから何も考えなくてよいということを意味しているわけではありません。
当然売買タイミングは考える訳なのですが、それがどれほどの完璧な論理で固められた正論であったとしてもそこにこだわってはならないということなのです。
ここに多くの投資家たちは気づけずにいて仕掛けに躊躇したり手仕舞いが手遅れになってしまったりするのですね。
総じて何か確実なことがあるのではないだろうか?
今日この取引においては詳細に調べてまず間違いないだろうと確信して自信を持ってどんぴしゃりなタイミングで仕掛けたのだから利益が出ないはずはないといった想いを持ってしまう投資家で満ち溢れているのです。
この不確実性の中でどう生きていくかという段になったときにまず考えるべき視点を提示したいと思います。
総合的視点を身につける
それは総合的視点といったことを身につけるということになります。
総合的視点とは個々の取引の成否、今日目の前の売買だけに注目するのではなく、もっと俯瞰的に、1ヶ月、1年、生涯といった長期的な視点で、複数の取引、これから行うだろう将来の多くの取引のことも考えるということになります。
相場は不確実性の世界ですから確かに個別でそれだけに注目したときには成否がしっかりと出てしまってその結果に一喜一憂しがちとなります。
しかし不確実性の中でも総合的視点で取り組むと総合的成功を収め続けることが可能になるのです。
個々の取引ではなく複数の例えば100取引をまとめてみて損益を見る、成否を見るといった視点で相場に取り組むと自ずと100取引中の1取引といった視点で個別の取引を考えることが出来るようになり、それが適切な売買につながるということになります。
不確実性の中で確実に成功し続ける方法
結局この世のあらゆる事象が不確実性の中にあります。
その中にあっていかにして確実に成功し続けるのか?といった方法があれば嬉しいですね。
そして相場においてはそれがあるのです。
それは不確実性ということを逆手にとるということです。
要するに分散するということですね。
投下資金を銘柄分散する、時間分散するといったことは投資の世界では常識ですが、そういう投資技術的な話ではなく、あなたの心の問題における分散です。
あなたが行う各取引においてとある一取引だけに心を配るのではなく、将来に行うであろう百取引、千取引においても心を分散して配るということです。
不確実であるということは確実である場合もある、確実に見える場合があるということを意味しており、それは一つの事象に関して多くの繰り返しを行っていくことによって可能となります。
従って目の前の取引からその次の取引、さらにその次の取引、といったことを同時に意識する、心の分散を行うことによって不確実性の中における確実性を偶然にも掴み取るということをするわけですね。
不確実性の理解ではなく感得
最後までお読みいただきありがとうございました。
結局不確実性の認識、相場を張る上でただいま行っている取引に対して絶対的視点で見る、絶対的成功を信じるといったことをせず、相対的に見て次の取引、その次の取引に心を配ることで心の分散が生じることで論理的に完璧なタイミングで仕掛けても結果失敗に終わることがあるということを認識できる確率を高めるということが出来るということになります。
人間はただ論理的に理解すれば納得するわけではないのですね。
頭では論理的に考えて納得しているだろうと思う自分がいるわけです。
しかしそれを実際そのまま実践しようとしたときにその通りに出来ないことが多いのが人間というものなのです。
分かっちゃいるけどやめられない。こういったものはこの世に多数ありますね。
この世は総じて不確実性の世界であり、新型コロナウイルスもそうですが、いつ何時どんなリスクが生じるかなど誰にも分からないのです。
相場も例外とはならず不確実性の世界の中にあるわけですが、そこで成功し続けるためには分散投資やら何やらといった論理的技術的なものだけの理解では足らないのですね。
心で掴む、つまりは感得することが大事なのです。
私は今回心の分散という言葉を使いましたが、この表現でご理解いただけるかどうかは定かではありません。
結局は相場を張り続ける中でこの私が述べた言葉がしっくりくるときが来たとき、そのときあなたはこのことを単純に理屈として言葉として理解したということではない、自分自身全体で感得したということになるのですね。
それはあなた自身の努力次第、あなたが私の言葉を素直に受け取ろうとする姿勢を持てるかどうかであり、私がやるべきことでもなければ出来るはずもないことであり、私が出来ることはその気づきのきっかけとなる言葉を様々な角度、視点から提示することだけなのです。
まさに不確実なことですね。