動かざること山のごとし。
原典は孫子で、武田信玄の旗印風林火山の一節としてある言葉ですが、実は待つことというのは難しいものです。
デートの待ち合わせのとき先に来た人は恋人がいつ来るのか気が気ではありませんね。
時間に遅れるようなら怒って帰ってしまうこともあります。
いらいらすることなく、不安を感じることなく、悠然と待ち構えるようなことが出来る人は少数派なのです。
大抵は現代においてはスマホで電話なりLINEをするなりして相手の現況を知ろうと行動してしまうわけです。
投資家も同様です。
相場においても待ちは非常に難しい決断です。
今日はこの待ちについて考えてみたいと思います。
何もしないという投資
投資家は投資して初めて投資家である。
そう考えている投資家がほとんどです。
故に常にポジションを保持していないと気が済まないということになります。
確かに投資をしないことには収益を得ることは出来ません。
しかしながら投資をするということは収益を出す必要があるということを忘れてはなりません。
そのためには投資すべきではない局面においては投資しないということが有効となります。
これを理解して日々実践できている投資家は数少ないということになります。
ですから何もしないということもまた投資であるということをまず最初に認識してください。
待つことの難しさ
待つことは難しいことです。
値動きは日々起きています。
有望銘柄なるものは日々生じています。
そういったものを眺めているとどうしても仕掛けたくなります。
そして安易に仕掛けてしまいます。
何もしないということよりも間違っていても何かをしていることの方が大事であると考えたがるのが人間というものなのですね。
しかし相場を適切に張るという意味では待つことはとても大事なことです。
適切に仕掛け適切に手仕舞うことを日々継続できなければ一時的成功者にはなれても成功し続ける投資家にはなれませんから、不適切な仕掛けや不適切な手仕舞いをしてしまうような待つことができない行動は避けなければなりません。
待つことの難しさは人間心理上抵抗感が生じるためであるということになります。
待ちは投資家の至宝
待つことは至宝です。
いかに待つかが投資家として成功し続けるための最大の鍵と言えます。
仕掛けよりも手仕舞いよりもいかに待つかが大事です。
その理由は簡単です。
いかにタイミングよく仕掛けるかが大事ですが、そのタイミングを計る上で適切な仕掛けタイミングになるまで値動きに翻弄されることなく待つことが出来るかどうかが大事だからです。
いかにタイミングよく手仕舞うかが大事ですが、そのタイミングを計る上で適切な手仕舞いタイミングになるまで値動きに翻弄されることなく待つことが出来るかどうかが大事だからです。
結局適切に待てる投資家だけが適切な仕掛け手仕舞いが出来るということになります。
至極当たり前の論理的帰結ですが、この当たり前のことが出来ない投資家がほとんどなのです。
待ちは投資家の至宝であるという認識を持ちましょう。
何かをやることは何もやらないことより良いとは限らない
最後までお読みいただきありがとうございました。
とにかく行動することが大事であると述べる方々は多いですね。
もちろん積極的に行動することで失敗もありますが何かが得られてそして成功を掴む確率が高まることは確かです。逆に何も行動しなければ何も生まれません。
しかし相場の世界ではその人生の法則が通じません。
何かをやる、売買行動を起こすことよりも何もやらない、キャッシュポジションのまま行動を起こさないことが大事な相場局面というものがあるわけですね。
新型コロナウイルスショックで世界経済が大損失となっていてそれがいつまで続くか定かではない局面において割安になったから投資しようと考えることは良い結果を生むとは限らないということになります。
私は相場師ですので大いなる収益機会となっていますが、買いしかしない投資家にとっては新型コロナウイルスが結果的にどれほどの中長期的な経済損失可能性があるか分かりませんので様子見でいることは吉である確率は相当に高いと考えられるわけです。
そういう場合は一切動かず待つ選択をすることが大事です。
それでもどうしても動きたくて仕方なくなってしまう投資家に対して私が一言提示して気づきのきっかけになったらと思います。
待つという投資を実践しましょう。
私のように日々売買を頻繁に実践している相場師でも実際のところ秒単位、分単位に置いていかに待つかといったことの大切さを実感しているわけです。
待つことは実は一番大切な売買実践なのですね。