相場は単純です。
結局株価が上がるのか下がるのかそれだけの話です。
ですから誰でも的中可能です。
とある小学生がチャートを見てこれは上がるよぉぉと言っても十分に的中する可能性があります。
ですから私は今日も相場のプロと称する相場の本質を知らない素人たちがしきりにあの銘柄の株価が上がる下がると言っているのが滑稽に見えるのですね。
そんなこと小学生でも出来ることなのです。
相場は本当に単純なのです。
一神教
代表的なところでのキリスト教、イスラム教は一神教です。
イエスキリストとアラーがそれぞれ唯一神として崇め奉られています。
他に例外なくそれだけが絶対の単純な美しい世界ですね。
株価が上がるか下がるかといった単純な論理であるといった相場の真理はこの一神教の思想と同様になります。
どんな理屈を並び立てたところでどんな論理展開をしたところで株価は上がるときは上がりますし下がるときは下がります。
神が述べていることなのだから従うしかない神の啓示のようなものです。
上がるときは上がるし下がるときは下がるのですね。
どんな理屈を垂れて上がる正当性下がる正当性を訴えかけたところでそんなことは無視して進んでいくのです。
そういった状況においては粛々とそこに素直に従う姿勢が大事なのですね。
そこで神を疑う、要するに自分の考えに拘ってしまうととんでもない大失態を犯してしまうことになります。
一神教はまさに大前提としての絶対神がおり、その言葉に粛々と従っていくことによって人生に幸せをもたらしていくという意味で相場における市場の考えに従うということに一致するのです。
自らが神であるかのごとき人たち
この銘柄は大化け銘柄であるとして多くの人たちがまるで自らが神であるかのごとく自己主張しています。
こういった無数の人たちはとてもとても罪深い存在ですね。
自分が買っている云々は関係なくこういった煽り屋の存在価値はゼロです。
そういうことを一切しない私としてはさっさとあの世に行ってしまえと思ってしまいます。
まさにおこがましいということになります。
そしてあまりに無責任ということになります。
投資は自己責任でありどんな意見を参考にしようとしまいと最後は自分で売買を決断しているという意味でそういった煽り屋には損失の責任はありませんが、いわゆる相場において間違ったことを喧伝している相場的害悪としてその言葉の責任はあるということなのですね。
自分が買っているというだけではその責任を取ることにはなりません。
このような自らが神であるかのごとき、特定銘柄が買いだ何だと私は買っていると煽り続ける人たちは本当に虫以下の俗物なのですね。
あなたは決してこのような俗物に影響を受けないように気を付けてくださいね。
もちろんあなた自らそんな罪を犯すような人間になってはいけません。
底辺の自覚
相場界において神は市場です。
市場の考えが絶対なのですね。
そして我々投資家一人一人は底辺のその他多数の存在です。
この底辺の自覚が非常に大事です。
何故ならそのことによって確実に謙虚さが生まれるからです。
相場において自分は底辺であるといった自覚は市場の考えに従う確率を数段上げます。
自分など何者のものぞといった謙虚さが相場では本当に必要なのですね。
そう考えているからこそ過剰な資金を一銘柄につぎ込んでしまうといったことを冒しませんし、自分の考えといったものを実践に持ち込まなくなるわけです。
一個人投資家など市場の大きさからしたら豆粒にも劣る存在です。
億ドル程度では虫程度ですし、億円程度では塵芥の類、千万百万円などはもう人間の目には見えないどうでもいい存在なのです。
私も含め個人投資家など偉そうに御託を並べて宣託出来るほどの力は全くないのですね。
そしてこの底辺の自覚をした投資家は市場の考えに素直に従うようになりますのでいよいよ生涯成功し続ける投資家としての精神確立が為されていく歩みを歩みだすのです。
相場界において自分は底辺にいるという自覚をすること、この精神性が大事となります。
神の前に一人立つ
姿勢としては神の前に一人立つ必要があります。
偉大なる神、要するに市場の考えに従うこと、それは非常に大きな力のある絶対的存在ですが、その前に一人で立つ、要するに誰にも影響されず何にもこだわらずに淡々と一人従い続けること、この姿勢が生涯投資家として成功し続けるために必要になります。
これは本当に厳しい姿勢です。
大いなる孤独を感じることでしょう。
それでも立ち続けなければなりません。
巷に溢れるあの銘柄が買いだこれが私の一押し銘柄だ、テンバガーだ大化けだといったくだらない煽り情報を得てそれに影響されてしまうような精神ではとても成功し続けることは出来ないのです。
畏れ多い神の前に立つときは一人では不安を抱くかもしれませんが、結局そこを成し遂げない限り投資家として生涯成功し続けることはないでしょう。
言い換えるなら投資は自己責任が原則であるということです。
証券マンが株を売りつけてくるときに最後に言い多くの顧客がスルーしてはいはい分かっていますよと思う言葉ですね。
最近ではオンライン証券隆盛ですから証券マンの営業を受ける顧客は少ないのかもしれませんが。
自己責任というものをしっかりと腹の底で認識している投資家は総じて他人の銘柄推奨など一切見ることなくただ自分の分析判断のみで投資し続けます。
何故なら責任転嫁できる対象が何もないからです。
神の前に一人立つとはそういった自立した人間であるということですね。
市場の考えに従え
最後までお読みいただきありがとうございました。
今日は異なった視点から、異なった表現を使って結局いつも述べている相場の真理を述べてみました。
これで響く人もいれば全く響かない人もいるでしょうね。
もちろんそれで良いのです。
私の主張もまた私の主張に過ぎず当然盲信すべきものではないのです。
確かに相場を何十年も張り続けており何十年も成功し続けている投資家ではありますが、そんなことは将来の成功を保証するわけではなく私の主張が通用しなくなる時代の相場が到来する可能性は常にあるからです。
しかし今日述べたことは相場の真理であると私は考えています。
神の絶対性、相場においての神は市場の考えですが、それに対する自分自身の底辺の自覚、相場においての底辺とは投資家である自分の考えですが、その底辺である自分の考えなど神は露ほどにも感じていない些末なことであるということ、この認識が投資家として生涯成功し続けるための精神確立のために非常に大事な認識なのです。
この銘柄が買いだ売りだと述べている些末な情報を得ることを止めましょう。
巷にはこういった俗物情報が多すぎます。
ぜひとも神である市場の考えの前に一人孤独に立てる投資家になってくださいね。