政治家というものは大事な仕事です。
ところが小学生のなりたい職業ランキングなどに登場することは決してない職業でもあります。
しかしこれは確かに現代の日本の政治家を眺めているとさもありなんということになりますね。
かなりの割合で代々世襲議員でありますし、一から成りあがっていくためにはまあ地方の市議会議員から始めていかねばならずそれも枠というものがありますのでその枠に入り込むためにはいろいろとコネが必要となっていきます。
ですから結局は一定の有名人が増えていくわけですね。
知名度があるということは一定の集票マシンになり得ますので無名のただ政治がやりたいだけの人とは最初のスタートから違うことになるからです。
政治家になるまでの道筋がこのように酷い道筋ですから小学生がキラキラと目を輝かせてなりたいような職業とはみなされないのは本能的に正しいということになるわけです。
しかし政治というものはとても大事なものなのです。
日本の将来はすべて政治次第なのです。
ですから政治家がどんな人物かということはとても大事になっていくわけですが、見ていると結局二流三流の人物がなっていることがほとんどとなっています。
残念ながら一流以上の人物たちは政治なんて世界に足を踏み入れたいとは思わないようですね。
政治家はボランティアであるべきである
私は旧い人間ですから政治家というものをこのように感じています。
したがって給料など一銭も払うべきではないと思います。
政党助成金なんて論外です。
金集めなんて政治家自身で全額集められないで何が政治家だと考えています。
もうそこから政治家が始まっているのです。
自分の人としての魅力、長い年月をかけて作ってきた人脈、商売で自ら稼いできた自己資金等々、いずれにせよ自分の力でかき集めて一大政治勢力を作れない程度の人間が本来政治家になるべきではないのです。
こういうとお金がなくても政治家になれなくてはいけないと批判を受けるのですが、現代政治において予算編成権こそが政治の醍醐味である時代においてその金を差配をする人自身が自分のために使う金を国民の税金で出してもらっているという時点で情けないというのが私の考えです。
政治家というのはボランティアであるべきなのです。
十分別の世界で金など稼いできていい思いをさせてもらったから残りの人生は社会に恩返ししたいという思いで無給で政治家になって国民に奉仕しようといった心構えが政治家には必要です。
ところが実際はどんな手を使っても政治家になれさえすれば安定した高給が任期の間確保出来て退職金などもある美味しい仕事という現況ですから結局その手の低俗な人物しか政治家を志そうとしないということになるわけですね。
私腹を肥やすことにご執心のような人物ではいけないのです。
そんなことはとっくの昔に自分で成し遂げたもうそんなものは飽きているというくらいでないと駄目なのですね。
トランプ大統領などを見ていると米国という国の懐の深さを強く感じます。
彼は政治家としては本当に素人で一期目は色々と政界の常識というものを理解していなかったので大変だったでしょうが今回は二期目で4年間の経験、実績がありますので政治家らしくなりここまで上手くやっています。彼にとって金など腐るほどあってこれ以上私腹を肥やす意味は何もないものです。選挙資金は莫大に必要ですがそういったものも自分でかき集められる魅力、人脈、自ら稼ぐ力をお持ちなのです。こういった人が政治家になるととてつもない力を発揮するということを今回も証明しつつあります。
トランプ大統領などは結局ボランティアで大統領をやっているといった感覚なのだろうなと私は感じています。
逆に日本では政治家に国民が給料を出し、政党にも助成金を供給してまさに当選さえすれば安定職のようにして自分では金を稼げない口だけの人間たちを多数集めることに成功しています。
昔の日本はもちろん違ったのですが、政治家はボランティアであるべきであるということをすっかりと忘れている現代政治家ということになりますね。
金や色に強欲でも問題ない
もう一つ金や色に強欲でも問題ないということを国民は強く認識しなければならないでしょうね。
ただ大前提条件としてあるのは給料を貰っておいてそういうことも強欲であるといった人間では当然本末転倒であるということです。
金や色に強欲であるという人物はそもそも論として他人に頼る自分ということを許せないほどに自己欲が強いのです。つまり自分でガンガン行くような人間で他人に施しを受けて満足するような人間ではないということです。
だからこそ私はまず政治家を見るときに見ることは自分で金を集められるのか?ということを見ます。
ここは基本なのです。
それが出来てその上で志が素晴らしいかどうか、私欲ばかりの人物ではないかといったことを見ていきます。
口だけの評論家政治家など一切必要ないのです。
金や色に強欲でも問題ないが、自ら吐いた言葉を実現するべく死ぬ気で行動できないような軽薄な人物では駄目なのですね。
最善は自分が政治家になることである
最後までお読みいただきありがとうございました。
最近は政策が大事である、それがしっかりしていれば金に汚かろうが、異性と浮気をしまくるような性欲だろうが問題ないと考える人も少なからずとなってきており、それは一理あるのですが、最も大事なことが抜け落ちている場合がありますので気を付けなければなりません。
どんなきれいごと、正論を述べていて、自分が望む政策一致している候補者であってもその人が実際に政治家になったときにそれを実践し結果を出せる人物であるかどうかは分からないということです。
それはよくよくその人物の本質を見ていかねばなりません。
その人が過去何を言い、そして何をしてきたのか、変節したのかしないのか。
周りに集う人間たちはどのくらい離れていってしまったのかいないのか。
こういったことを見ていくとその人物が言うだけの人間ではないかどうかが見えてきます。
ここを間違えると良い政策を述べていたが結局変節した、結果が出なかったということになりかねません。
結局政治家選びはその国の国民の人物に対する見識眼が問われ続けていると私は考えています。
若いうちからその見識眼を持てと言ってもなかなかに難しいことで様々な人と出会い、話をしていろいろな経験をして初めて見えてくるものでありますが、いずれにせよ国民のレベル以上の政治になることは絶対にないということが事実であり、日本経済の長年の低迷という事実を見ていても政治家というものに対しての見識は諸外国と比較して現代日本人はかなり劣っていると思わざるを得ないなというのが実感ですね。
しかしそれでも前を向いて一歩一歩進んでいくしかなく、立候補者からよりましな選択を消去法的に行っていくしかないのでしょうね。
最善の選択は結局自分が政治家になることであるというのがすべての国民にとっての最善ですからこういう選択の仕方になることは致し方ないのです。私も含め政治家なんてなりたくない、なれない国民がほとんどなのですから自分の思い通りの政策をすべてやってくれる政治家なんて皆無だからです。
しかし政治が素晴らしければ国は素晴らしく繫栄することは間違いなくここ三十年の国民の政治家選びは酷い状況であることは結果として出ていることは明らかですね。
これからの三十年は繁栄する国家となっていってほしいものですが、結局我々一人一人が出来ることは淡々と適切だろう候補者に一票をそれぞれが良く考えていれることを実践継続することしかありません。