相場で不思議なことはこの表題をあまりに多くの投資家たちが理解していないような行動をしているということです。
どう売買すればよいかということを必死で今日も探し求めている投資家で溢れているわけですが、そんなものはカリスマ投資家の方々に聞くまでもなく答えは大昔から出ているのですね。
相場を張る上で大事なこと、本質的なことはもっと別のところにあるわけなのですが、そこに行き着く前段階ですでに大間違いな思考で右往左往してしまっているのです。
今日はこのことをじっくりと考えてみましょう。
どう売買するのか?
どう売買すればよいのか?
それはすでに答えは出ています。
優位性のある売買を継続すること。
これだけで良いのです。
そのために過去で検証してみて実際総合的利益が出る結果となっていたらまさに現実でそれを使ってみて通用するか見ながら結果が出ていくなら使い続けていくということになります。
本当に何も全く難しくありません。
誰かにあれこれご教授してもらう必要性も無ければ実際そんな情報は物の役にも立たないのですね。
だってどう売買するのかの結論はすでに出ているからです。
これだけをどんなときも淡々とやれば総合的利益が出ることが過去分かっており現在通用している結果を出していけば将来もその確率は高いと考えられて実際結果を残し続けることになるからです。
何故既知であることを既知だと思えないのか?
そんなに簡単なことなら何故多くの投資家たちはそれを既知のものと思えないのでしょうか?
ここにはいくつかの問題があります。
まず第一に優位性のある売買手法が分からないといったものがあります。
いやはやということなのですが、こういう投資家が少なからず故にいわゆる100万円を1億円にした私の手法などといったくだらない情報に一定の価値が生まれてきてしまうのでしょうね。
こちらはもう単純に勉強不足の類です。
優位性のある手法なんて無数にあるのですよ。
そして自分がやってみようと思う手法が優位性があるかどうかは過去の相場で検証すれば良いだけなのです。
どういう条件でどういうタイミングで仕掛け手仕舞うと過去においては優位性のある、つまり総合的利益が出ているのかといったことを実際に自分でやってみれば良いのです。
そしてこれを自分でやってみるということが本当に大事です。
他人に教わるのではなく自分でやってみることによって色々と分かってくることがあるからです。
その努力を怠って手っ取り早く儲かる手法を知りたいと思う人は上手く行ったとしても相場を張ることが長続きすることはないでしょう。
相場の醍醐味はどう売買するかという思考過程にあるからです。
そこを他人に依頼したらその醍醐味が失われてしまうのですね。
もちろん本当の最初は真似から入るということは良い選択であり、プロスポーツにおいてもプロの選手の所作を真似てみるということは有効なのですが、それはあくまで子供が最初にやることであってプロを目指す仕事としてやる大人がやるべきことではありません。
しかし意外と依頼心を捨てられずない人が多いということで既知であることを既知だと思えない人が少なからずとなってしまいます。
第二に資産減少期間に耐えられなくなる投資家は必ずその局面で自分のやっていることに疑問を持ってしまいます。
過去の検証において資産減少局面となる期間がこういう時に起きたということをただいま今日訪れているときにどうしても投資家心理として不安や恐怖を感じて自分のやっていることに一定の信頼を失ってしまいます。
人間は過去どうだったかということ以上にただ今実際に自分が経験していることに強く意識を持ってしまいます。
愚者は経験に学び賢者は歴史で学ぶという言葉の本質は歴史で学んでいてもいざ自分の身に降りかかる経験において歴史ではこうだったのだからと学んでただ今の経験に適用することは非常に難しいというのが真実なのです。
だからこそ人類という意味でも過去の歴史を学んでいないかのような愚行を繰り返したりもしているわけですね。
決して歴史を知らないわけではなくて自分で実際に経験して初めて理解するという過程を踏むことが個々人の人間にとっては大事であるということなのです。
従って資産減少局面において耐えられなくなり、既知であることを既知だと思えない瞬間が訪れてしまうのです。
結果の偶然性への理解の欠如
もう一つ大事なことがあります。
それは結果の偶然性への理解の欠如です。
優位性のある売買手法を使う、それは過去においては確かに優位性があったわけですが、それが現在も通用するか、将来も通用し続けるかは実のところ未知数であるということを理解しなければなりません。
どうもこれを理解できず過去を検証していって探し当てた自分の優位性のある売買手法を絶対的な存在として盲信してしまう投資家も数多いのです。
私自身長年基本的な売買手法というものは変わっていないのですが、微妙な匙加減の違いは現代相場に合わせて変化しているのですね。
つまり今日も完成されておらず試行錯誤中であるということです。
というより永遠に完成することはありません。
何故なら結果は偶然だからです。
適切なリスクを適切なタイミングで取って良い結果が出た。
これは自分の思考が正しく適切な実践が出来た実力があったからではないということへの理解が多くの投資家たちには心理的に難しくなるということになります。
確率というものにも繋がる話なのですが目の前の一事象において出る結果というものは確率に従って生じるわけですがその結果は偶然、要するに行っている自分自身どうなるか何も分からないということです。このことが生涯連続していくというわけです。
この結果の偶然性への理解があって初めて売買手法を使いこなしているということになるわけですが、この欠如が総じてそれを出来無くし、どう売買すればよいかが既知であることを既知であると思えなくなる心理を生じさせてしまうのです。
思考転換
最後までお読みいただきありがとうございました。
どう売買すればよいかはすでに既知である
この理解のためにはクリアしていかなければならないことが複数あることが分かりました。
結局投資家の心の問題、投資家自身がしっかりと思考転換しない限り、どれほど優位性のある売買手法を利用してもどんなカリスマ投資家の言を聞いても無駄なのです。
本当にどう売買すればよいかなど誰彼に聞く必要もなくそこら中に転がっているのですが、それを淡々と何十年も継続して今日もやり続けることが出来ている投資家は数少ないのですね。
そこにあるのはただただ投資家の精神確立が出来ていないというだけの話なのですが、今日もそこに気づくことなく、誰かに教えてもらいたい、どこかに良い情報が載っていないかと自分以外のところに原因があるとして依頼心を持って他に求めていってしまっているのが現実です。
ここを理解できるかどうかだけが投資家としての成否の分水嶺であるということに気づき理解できるかどうか?
理解すると本当に晴れやかな精神となるのですが、なかなかに難しいようです。