東芝買収提案が話題になっていますね。
いわゆるグローバリズムに邁進している日本はアクティビスト達の餌食になっており東芝も例外とはならないといったところです。
東芝にとっては緊急事態において上場維持のために彼らを受け入れたといった事情がありましたが、アクティビスト達は当然ながら温情などといった抽象的な思考、人間的発想は持ち合わせておらず常に合理的効率的市場原理主義な機械的発想ですからいかにして東芝から出来るだけ多くの利益を短期で捻出するか徹底的に論理的に展開していっているでしょう。
当然国家が関与している企業ですから政府への根回しもしているでしょうし、マスメディアを使った観測記事もタイミングよく横行しており、東芝の買収への外堀内堀は着実に埋められつつあるのかなと私は見ております。
いわゆる市場原理主義の弊害
どうもグローバル基準といったものを盲信してしまう方は少なからずなのですが、市場原理主義というものを追求した代表国としての米国はその徹底追及の結果もたらしたものは極々一部の圧倒的な日本にはまずいない超富裕層と雨露しのぐ家もない多くの超貧困層をもたらし、社会的な弊害となって経済指標は最強なものをもたらし続けながら社会的歪みを拡大し続けるといったことになっている現状です。
自己利益しか興味が無い人たちがこういったグローバリズム、市場原理主義を無批判に礼賛するわけですが、私はこの圧倒的格差拡大を最終的にもたらしたこの市場原理主義の弊害を危惧し続けています。
そして米国はトランプ元大統領の登場によってこの市場原理主義の弊害を反省し株主資本主義からの脱却が始まりつつあります。この時代変化を決して見逃してはいけないでしょう。
市場原理主義が行き過ぎたことによる社会的弊害を認識して修正しようとする米国はやはり世界最強になり得た懐の深さを感じるわけですが、そこにおんぶにだっこの10年遅れで真似っこしている日本では効率化だ合理化だ市場原理主義だ株主資本主義だと今頃になってそれを礼賛する時代遅れな人間が増えつつあるといったところですね。
いずれにせよ、市場原理主義は格差拡大を拡げるだけであり、日本はわざわざそこに足を踏み入れるべきではありません。
世界に倣って市場原理主義、グローバリズムからの脱却をいち早くしていかねばならないでしょうね。
日本型資本主義の復権
日本には古くから三方良しといった言葉があります。
商売の鉄則とも言われていますね。
圧倒的な高度経済成長をもたらした原動力とも言われていました。
会社が繁栄するためにはまずは成長のための投資をすること次に社員を大切にすること、そして最後に株主を大切にすること、これが日本型資本主義の典型でした。
株主はいつも最後であり、陰で支える裏方だったのですね。
それが金融機関などの株式持ち合い制度を生んだ側面もありました。
しかし近年では市場原理主義の席巻によって立場が逆転してしまい欧米のグローバル基準では株主第一主義、ROE経営やらの効率性だけが重視され社員は安月給でこき使われ終身雇用制度は奪われリストラもされると全く大切にされることなく使い捨てにされる世の中となりそれが一部の圧倒的富裕層となる資本家とその他多数の貧困層となる労働者といった格差の圧倒的拡大をもたらしてしまいました。
日本型資本主義ではしっかりと成長投資し、余ったお金は従業員に還元し、さらに余ったら株主に配当するといった優先順位であるためグローバル基準の物言う株主たちはおかしいと怒るわけですね。
そこに対して市場原理主義脳に陥ってしまった最近の経営者たちは対応しようと躍起になっており、東芝はその最たる例ということになっています。
世界の流れは株主第一主義からの脱却が叫ばれつつある時代ですが、日本は株主第一主義への流れへと進もうかといった政府の政策方向性によって米国その他で稼げなくなってきた多くのアクティビスト達が大挙として日本に押し寄せつつあるといったところですね。
しかし日本は元々株主第一主義といった発想を持つことなく独自の日本型資本主義、市場原理主義者たちにとっては株主軽視の経済思想を確立していたわけですからこういった社会的弊害となる市場原理主義、グローバリズムに染まっていかずに留まって欲しいものです。
大事なことは世界の流れは脱市場原理主義、日本型資本主義の復権が始まっているということをきちんと認識しなければならないということです。
市場原理主義の完成形である株式市場
私個人は相場師ですから株式市場の世界に生きており、そこはもう徹底した市場原理主義でそれが完成された世界をすでに提示しております。
完全な弱肉強食世界であり、優勝劣敗激しく、三方よしなどという発想はお人よしな発想で餌食になるだけの非常に厳しい世界です。
私は自分で選んだ道ですから厳しくても生き残るべく邁進するだけでありそれが楽しくやりがいがあるから良いのですが、これを一般社会に持ち込んで追及してしまうと悲惨な社会をもたらしてしまうのですね。
もう株式市場が市場原理主義の完成形を示してしまっているのです。
そしてそれは非常に効率的合理的論理的ながら非常に無機質で機械的で非人間的なものであるため人間が生きる社会においてはあまりに弊害が大きすぎる思想なのですね。
ですから日本はなかなか変えられないということが幸いして世界が脱グローバリズム、脱市場原理主義に進みつつある中でそこに遅々としながらも進もうとしているわけですが、その歩みを止めるよい機会ということになります。
世界の流れがすでに日本が今目指している方向性と逆行しているということを啓蒙していくことで空気を読み皆の流れに従うことを是とする日本人にとっては発想転換しやすいのではないかと考えるからです。
まずは市場原理主義の完成形はすでにありそれは株式市場であるということに気づいてください。
そしてそのことによってこれを一般社会に持ち込むことのハイリスク性を認識して欲しいのです。
市場原理主義者たちの最後の抵抗
最後までお読みいただきありがとうございました。
東芝の騒動は市場原理主義者たちの最後の抵抗といったところですね。
日本政府は果たしてどのような結末のシナリオを採用するのでしょうか。
東芝はいわゆる半官企業ですから経営陣などお飾りのようなものです。
政府に伺いを立ててその意向に従うしかない企業ですから早速社長が首になったりしているわけですね。
物言う株主たちであるアクティビスト達は本当に冷徹に貪り取るように徹底的に利潤追求してきますのでそのためには何でもやり当然日本政府にもコネクションを取り、自身に有利になるように取り込んできていることは間違いないでしょう。
その首尾一貫した姿勢は人間としては全く評価しませんが、ある意味では称賛に価するほどの徹底ぶりとなるでしょう。
米国でもこういった人たちに対しての批判は高まりつつあり、コロナ禍によって市場原理主義による社会的弊害の声はますます大きくなりつつある現状となってきているのですが、まだまだこういった勢力の力も衰えているわけではなく拮抗状態にあります。
例証としての東芝の結果には注目です。
日本が時代遅れの市場原理主義に邁進し日本社会が極々一部の富裕層とその他多数の極貧層といった社会構成国と成り下がってしまうのか、世界の最新の流れを見極めて自国の過去の先人経済人たちの日本独自資本主義思想を取り戻していくことが出来るのかどうかの試金石となる一例ということになりましょう。
相場師としては粛々と上がるなら買い下がるなら空売りでしっかりと利益を積み重ねさせていただくだけなのですが、いずれにせよ東芝が株式市場から消えるのかどうか注目となります。