多数派の論理、少数派の個性

徒然日記(相場以外の話題も)

この世は多数派の論理が常識として浸透しています。

最大多数の最大幸福を確立することが素晴らしい世界である。

功利主義的道徳観の基礎原理としてこの言葉がありますね。

そして実際多くの民主主義国ではこれが標榜されており、そこを最終目標として国家が運営されているということになっています。

実際政治家は多数決で選ばれますし、選挙制度の歪みはありますが、多くの国民の支持をその地域で得られた人が基本当選することは間違いありません。

ですから政治家に対する世襲批判も無能批判も結局はあなたがた国民が自分たちで選んだことで要するにあなたがたが人を見る目がない、無能なのですよと批判されていることと同義であるといった皮肉なことになるわけですね。

一方でLGBT法案などといった少数派を守るといった偽善を掲げた多数の国民にとっては何の意味もないことに対して熱を上げている風潮もあります。

ここは以前にこのブログでも何度も述べている通り利権ですので多数の国民のための政策ではないと言われても仕方がありません。多数の国民が選んだ政治家が利権に群がって私欲を満たしているわけですから多数の国民自身が間違った人物を政治家に選んでいるだけの話であるということになります。

相場は確実に自己責任の世界ですから大利を出すのも大損を出すのもすべてあなたが自分で決断して行動した結果であり、何の言い訳も出来ません。

ですから私は評論家というものを毛嫌いするわけですが、こういった考え方が少数派なのは巷に無数に沸き立っている各種評論家たちを見ていれば分かりますね。この世は言うだけの人たちが多数派なのです。

いずれにせよこの世は基本多数派の論理が通用しているということを理解することが大切です。

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多数派の論理が正しいとは限らない

結局はこの世は多数派の論理が常識とされるわけですが、この論理が正しいとは限らないということは理解しておかねばなりません。

これは前述した政治家の話をするだけで容易でしょう。

多数の国民が素晴らしい政治家たちを選べているなら日本社会は最大幸福を享受し日本経済は成長し続けているでしょうし、多数の国民が通っている学校でしっかり学べば優秀な人材となるならその学校の勉強を最高峰でこなした高級官僚たちが運営する国家は最強最高の国家となっていなければならないはずなのです。

しかし現実はそうはなっていないという事実が多数派の論理が正しいとは限らないということを証明しています。

でもこれを持ってだから最高に優秀な人一人による独裁制がいいとか学校など行っても仕方がないといった論理に飛躍してしまうのは危険です。

当たり前の話ですが少数派の論理が正しいとも限らないからですね。

こちらはLGBT法案などを見ていれば容易に理解できます。

そして実際多くの国民は基本サラリーマンとして生涯生きるわけですから、集団組織で学ぶ生き方を学べる学校はとても大事な経験であり、学校に行かなければそれを子供の内に学ぶことは出来なくなります。

それは子供の選択肢を減らすことであり、確率的にサラリーマンになる可能性が高い子供を社会適応できないリスクの高い大人にしてしまうわけです。

その一方で少数派ですが集団生活に合わない子供たちもいてそういう人たちを無理やり学校に通わせようとすることもまた良くないことです。

私個人的には学校など行かなくても良いと思っています。

ですから少数派となる相場師などという仕事をしているわけですね。

相場師は集団組織など何もありませんから、集団組織で生きるための技術など一切相場を張る上では必要ありませんので学校で学ぶことは何もありません。

経済学を修めたところで相場を上手く張れるわけではないですし、それは他のどの学問においても全く変わりません。まあ数学は知ってて損はないですがそれでもそれほど高度なところまで知る必要性はありませんし、当然数学に精通していたからといって相場で稼ぎ続けることが出来るわけではありません。

大事なことは多数派の論理がいつも正しいわけではなく、少数派の論理がいつも正しいわけでもないという当たり前のことを皆が理解することということになります。

少数派の個性を尊重し過ぎてはいけない

最近はこちらの方が大問題ですね。

一般社会の安定のためには当然ながら多数派の国民が心地よく生きられるということを最優先にするべきなのです。

ですから大抵サラリーマンとなって社会の構成員の一人となって集団組織というものの中で生きなければならない多くの国民は子供の頃に学校へ行ってそういったことを学ぶ必要性があるわけです。極一部そうではない子供たちもいてそういう子供たちに別の道を提示し救うことはもちろんするべきなのですがあくまで多数派の人たちに悪影響をもたらしてしまうことのないようにやるべきであるというのが私の考えですね。少数派優先ではなく多数派優先とするのが多数決で決める民主主義の基本であるべきなのです。

LGBTの人たちがいるなんてことは日本では昔から周知の事実です。

白い目で見る人もいるでしょう。

しかしそれは少数派であるから仕方がなく、そこに権利を法律で作って守ることで多数派が社会で生きにくくなる不安にさせるような状況を作ってしまってはいけないのです。

少数派は少人数だから少数派なのですから個別対応をすればよいのです。

多数派も守らねばならないような法律で縛るべきではないのですね。

あまりに少数派の個性を尊重し過ぎているきらいがあります。

それは全体的な社会の不安定化を確実にもたらします。

基本は常に多数派の論理を優先させることが大事です。

子供たちの多くはサラリーマンになるのですから学校で規則を守ること集団組織で自制する、横並びで動くといったことを基本どの子供たちも学んでいくべきで、それに当てはまらない少数派の子供たちは個別対応していけばよいのです。

この基本を犯してしまうと学校に行くのが大変な極々少数の子供により労力をかけていくことで圧倒的多数の普通に何事もなく学校を卒業していく子供たちに一定の労力をかけて教育していくことが出来なくなっていきます。

これは少数派の方々への差別でもなければ敬遠でもないのです。

いわゆる民主主義を守るのであるなら基本は多数派の論理を採用し続けなければいけないということなのです。

正しいか間違っているかで考えてはいけない

最後までお読みいただきありがとうございました。

相場師は圧倒的少数派です。

仕事はまさに自分次第で自分が健康を害して相場を張れなくなったら何の手当も出ませんから即収入は無くなります。

ですから大抵の人たちはこういった仕事は選ばず安定的に毎月給料が出続けて様々な手当ても豊富なサラリーマンを選ぶわけでそれが基本的には多数派で正しい選択なのです。

しかし少数派ですが常に一定数こういったサラリーマンとはならない、別の道を進む人たちもいるわけですね。

ただそういう人たちはそもそもそれを自覚してもなおそれを愛しているから、楽しいから、といったような動機で覚悟を持ってそこに突き進んでいる人たちですから国が関与する必要性は全くありません。

私はLGBTの人たちも同様だと考えています。

それぞれの性的思考に対して多数派の他人とは違うことに悩み苦しむこともあるでしょうが、同じような人は少ないながらも必ず見つかるでしょうし、少数派であることを覚悟して生きている人たちがほとんどであると思います。その覚悟を尊重して基本的には多数派はそっとしておくべきであり、法律で守ろうだとか余計なことをしないことが大事であると思います。

どうであれ社会的安定のためには国民の多数派が心地よくなるような、多数派が正しいと考えている論理を採用し続けることが大事です。

多数決で決める民主主義においては当然の話で少数派のことばかりをやっていけば何故自分たちとは関係ないことをやっているんだという思いを抱く人たちが多数派となって不満が大きくなっていくということですね。

多様性は常に大事ですが、その前に多数派が満足している社会形成が優先です。

その社会形成を成したうえで少数派のことも考えていくといった順番ならまあやっても良いのですが、そうではなくなっていて少数派利権に群がっている現状は非常に荒んだ時代へと向かうリスクがあると私は考えています。

正しいか間違っているかで考えることが一見正しいように思えますが、この人間社会においては多数の人間が幸福になるような方向性に社会を持っていくことで最大多数の最大幸福が得られるという当たり前の数の論理を忘れずに実践継続していくことが大事です。

今日は難しかったかもしれませんね。

いや別に私の自己主張は全然小難しいことを述べているわけではなく理解は容易でしょうが、私は相場師ですから常に相場を張る上での大事なことに関連付けて述べております。

そこを理解するのは今回は難しかったかもしれません。

よろしければどういう点が相場を張る上での大事なことであったのかじっくりと考えてみると良いでしょう。

安易な正答を敢えて示さないということもまた大事なことなのです。

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