相場師になって良かったこと

徒然日記(相場以外の話題も)

いつも厳しいことばかりを述べていますのでたまにはこういう観点から眺めてみることも救われるのではないかなと思うので少し私のことを話してみたいと思います。

私は元々は普通に就職してサラリーマンとなり、その後辞めて独立し経営者となって最終的に専業相場師の道へと進みました。

従ってこの世の全ての方の送るだろう人生を一通り経験してきていると思っています。

人の人生においてもちろんそれは個々ですべてが異なるとは思うのですが、基本的には三つのタイプに分かれることになると私は考えています。

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この世のほとんどの人たちはサラリーマン

一つはサラリーマン、どこかの会社、組織に所属してそこから月給やら時給やらを頂く契約をして決められた時間、決められた労働をし続ける人生、こういう人が9割以上大多数となり、大抵の周りの人たちを見ればどこどこに勤めていますと仰ることになります。子どもにおいては保育園や小学校中学校高校大学といったところに確実に日々行くことになる子供たちということになりますね。

いわゆる一般常識とされている必ずしも正しい真理ではないことをさも当然のことのように考えてしまいがちなのはただただ多数派はそう考えるから、サラリーマンとなっているからであり、多数派故にそれが常識とされているというだけの話です。ここは本来注意しなければならない点なのですが、サラリーマンしかやったことがない人たちというのは狭窄な視点でそれ以外というものを蔑視したり、理解できないという風に考えてしまいがちとなりますね。

次に多いのは経営者

次に経営者、要するに誰かに使われるのではなく誰かを使って生きる人たちということになります。ちょっと言い方が悪いですかねえ。しかし実際それは事実であり、もちろん社員を大切にする経営を私も心掛けてはきましたが、自分より給料が多い社員を作るなどということは出来ませんでしたし、それは不可能なのです。経営は持続性というものを考えなければなりません。真面目な経営者たちはもちろん社員思いの人もいらっしゃいますし、私もそうあろうとしてきました。しかしどうやっても人件費というものは大きく経営を傾かせる要因になりますので出来得る限り抑えるということを考えない経営者は一人もいません。余程のぼろ儲けを継続できる何かを持った会社であれば別でしょうが、多くの会社はそうではなく日々競争の激しい業界でいかに長く継続して会社を存続させるかと言うことに邁進しますので必然的に社員の給料なども横並びとなりそれは必ずしも社員を軽視しているのではなく社員を生涯雇うためにはどうしたらよいかと考えている優しい経営者である可能性もあるということを理解しなければならないのですがもちろん経営者になったことのない人がそういった思考に思い至ることはほとんどありません。そして安月給でこき使いやがると愚痴を言ったりするわけですね。いやまあその気持ちも私も分かるんですけどね。サラリーマンだったときのことを思い出すからです。しかし経営者には経営者の悩みがあり葛藤があるということです。いずれにせよ日々経営者をやっている人たちは日本ではまあ1割くらいの人間の人生ということになります。こういった人たちで大きな成功を得ている人たちは自分は他人とは違うといったような優越意識を持ってしまっている方も多いですね。確かに違うのですが前述したように仮に成功していてもそれは多くの社員の人たちのお陰であり、そういった社員が安月給で毎日真面目に働いてくれた結果会社が大きくなって利益も大きくなってその多くを自分自身が得られたに過ぎないという発想をしなければなりません。ところがすべて自分の力で成し遂げたものであるといった傲慢な思考というものがどうしても見えてしまう経営者も少なからずなのです。これは立場が人を作ってしまうということなのですが、私が経営者を辞めた最大の理由はここにあります。

特殊な理由ですね。

ここの読者なら当然のごとく栄華を極めた勢いある上場企業の少なからずが時を経て倒産の憂き目に遭っているという事実を見るだけで理解してくださると思いますが、経営というものは本当に弱肉強食の厳しい世界ですから常に競争であり優位性を保ち続けることが大事なのです。そしてその点でもっとも重視しなければならないコストは人件費なのです。日本でもかつて大リストラ時代などといったことがあり、コストカッターな経営者がもてはやされたことがありましたが、私はこれが好ましく思いませんでした。人減らしのどこが素晴らしい経営者なんだと。

人を減らすということは一人だとしてもその人の人生を路頭に迷わせる可能性があるということをどこまで鈍感になって切り捨てられる経営者かというだけの話であり、そんな人間が素晴らしい人物だとは私はどうしても思えなかったのです。もちろん経営としては会社存続を優先し一部の人の犠牲によって残りの人たちが救われるという決断をしなければならないということはよく分かっているのですが、ある意味では私も糞真面目だったのでしょうね。そういったことをせざるを得ないことがあるという経営者というものに大いに失望してしまったのです。

最初は意気揚々とこれから自分で築き上げていくのだと思ったわけですが、ある程度やっていくうちに結局は人件費というものに行きつき、つまり自分の繁栄は社員の犠牲によって成り立っているということに気づいてしまったのです。表向きは社長である私も含めて社員皆で一丸となって助け合いながら会社を成長させていくとどこの会社も掲げているわけですが、現実はそんな甘くはないということですね。もちろん私の場合は自分の会社の継承までしっかりと実践した上で辞めましたが、いずれにせよどうしても過去辞めてもらうことにせざるを得なかった社員の顔を今でも思い出してしまいます。そこに耐えられなかったいわゆる弱き元経営者が私なのです。

それ以外の第三の選択

結局私は相場師となりました。誰かに使われるのではなくまた誰かを使うのでもない道を探していた中で私は相場師を選んだわけですね。この手の範疇にある人生を送る人は極々少数ということになります。良いところではプロスポーツ選手だとか芸能人、YouTuberといった華々しいが厳しい極々少数の個人的な才能を生かした道を選ぶ人たち、まあこういう人たちも表向きは事務所から給料貰っているサラリーマンだったり、自分で独立して経営者になっているといった側面もあるわけですが、いずれにせよ、一般的なサラリーマンというもの、経営者というものから離れて自分自身の才覚によってのみで生きる道を選んでいる人たちということになりますね。そして悪いところではニートだとか不登校児だとか女性のヒモになっている人だとか売春をしている人たち等々、いずれにせよ自分自身によってのみでその現状に甘んじている人たちと言うことも出来るでしょうね。

問題は才覚があるかどうか不断の努力が出来るかどうかといった観点で、生きること自体が困難になってしまうリスクが高いというところです。路頭に迷う可能性が最も高い人生であるということですね。芸能人一つとっても一発屋もいますし、そこで継続的に活躍し続けている人たちは極々少数です。その裏で多くの人たちがやむなく普通の一般企業のサラリーマンに転身したり、別の道に行ったりしているわけですね。芸術家も極々一部の人気芸術家のみがすべての富を搾取してその他多数の芸術家たちは細々と生活しながら自分の芸術に勤しんでいるわけです。

こういったところからどうしてもこの範疇にいる人たちは圧倒的賞賛を浴びるか逆に何をやっているんだと蔑視されたりもするわけですね。すべて最終経過を見てそういうことを言うわけですが、どんな芸術が、どんな仕事が現代の世でもてはやされるかは分かりませんし、今はなんだこれはと思われるものが後世になって評価されるなんてこともあるわけです。しかし今を生きている我々にはどれがそうなるかは分かりませんので今日々遊んで暮らしているかのように見えてしまう人たちに対して白い目で見ている人たちは後を絶たないわけです。

『完全』自己責任

さて長々とどうでもいい私翁の過去の歩みを述べて申し訳ありませんでした。

ようやく相場師について語ります。

相場師は最高の仕事です。

まあ最終的には私は専業相場師というものを選んでその人生を今日も送っているわけですから当然の思考ですね。

相場師は完全自己責任です。

それは単純にどう売買してどういう結果を出そうとも自己責任であるといった証券会社のただし書きの話ではありません。

完全』自己責任なのです。

つまり相場を張って生きるとは自分一人で生きるということです。

誰かの指示に従う必要性は全くありません。

誰かをこき使って搾取する必要性は全くありません。

対人のみではありません。

人生において大事な時間もそうです。

サラリーマンにしても経営者にしてもどうしても毎日定時に出勤して仕事をするという多くの人生時間を束縛されて生き続けていますが、相場師にはそれが全くありません。

相場は世界で24時間開いていますのでその24時間相場を張り続けても良いですし、逆に今日は全く相場を張らないでいようとすることも出来ます。

つまり時間の束縛が全くないのです。

ですから私などは好きなだけピアノを弾けるわけですね。

相場師でなければ残念ながら週5日は最低出勤しなければなりませんし、大抵の起きている時間は仕事関係に費やし続けなければならないわけです。たまの休みが癒しであり楽しみとなる人生というわけですね。もちろん仕事そのものが楽しくて時間を忘れてやっているかもしれませんし、私自身もそうですが、良い悪いではなく相場師は時間に束縛されることは一切ないということです。

この圧倒的自由は限りある人生においてはとても大切だと私は考えています。

そのことによって私はピアノもそうですが様々な分野の様々なことを一般サラリーマン、経営者の方々より経験することが出来ています。

誰からも何からも解放されていることの喜び。

相場師になって良かったことはこの一点です。

最高の贅沢だと私は考えています。

何か新NISA誘導促進活動みたいになってしまいましたが、基本的には相場の世界は非常に厳しい世界です。現相場環境は誰でも儲かる非常に易しいものに見えているかもしれませんが、それでもこれほどの好環境でもいまいち上手く行っていない投資家も数多い世界です。

しかしそれを乗り越えられる技術、精神を身に付ければやはり相場師は人生における大きな解放感を味わうことが出来るでしょう。

その喜びはそれを実現できた者だけが味わえる至福の時です。

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