長い歴史文化による基本独自性

独活日記(相場を生き抜くために)

さてWBCが終わりましたね。

米国を破って優勝といった百点満点の結果となりました。

結果が全てのプロの世界においてはもう最高の誰も文句をつけることが出来ない、しかも内容も映画のような結末となったのは驚くべき結果と言って良いのでしょうね。

大会としては優勝候補の一角が優勝したに過ぎないわけですから驚くべきことはなく日本チームは野球という日本独自のスポーツを育み続けて米国のベースボールに立ち向かって勝利したわけですから感無量と言わざるを得ません。

サッカーワールドカップにおける日本代表との違いはやはりこの独自文化における長い歴史があるというところなのでしょうね。

日本サッカーも決して歴史が浅いというわけではないのですが、プロサッカーとして日本独自の文化を形成しているというよりも最高峰の欧州から学んでいる過程の段階といったところが日本独自に醸成していった野球との大きな違いといったところでしょう。野球の場合はもちろん最高峰となる米国MLBで学んでいる側面もあるのですが、日本独自に生み出してきた米国には無い戦略、戦術、技術といったものが随所に試合にも現れており、野球とベースボールの違いと言ったものが見え隠れしていました。どちらが優れている劣っているということではなくそれぞれ良さがある独自性があるということですね。

私はこういったものは長い歴史、文化によって醸成されると考えています。

サッカーにおいてはやはり日本独自のサッカー哲学というものをいかに国内で醸成していけるかがカギでしょうね。

もちろん最高峰となる欧州から学び還元していくことも大事ですがその模倣だけでは超えられないというのが事実でしょう。最終的には日本独自のスタイルを確立出来るかどうかといったことがサッカー日本代表においても世界一となるために必須となる事項だと私は確信しています。

実際日本野球というものが無ければ二刀流大谷という存在が生まれることは皆無だったでしょう。米国でも同様二刀流はリトルリーグならさておきメジャーリーグの世界では絶対不可能であると言われ続けてきましたし、実際最初から米国に足を踏み入れていた場合大谷選手が二刀流選手として世界唯一無二のメジャーリーガーになることは無かったでしょう。

優れた国から学ぶことは大事なのですが模倣だけでは超えられないのです。

相場も同様です。

私自身の相場技術はたいしたことはないですが、しかしそれはどの相場本にも書かれていない、私独自のものです。

しかしもちろん過去の相場師の方々が培ってきた相場の歴史、文化といったものを学び抜いた上での独自性であることは間違いないことなのです。

日本の相場の歴史も米国に負けず劣らず長いですからそういった独自文化が素晴らしい日本の相場師を生み出していくと私は信じていますし、私自身も一定の結果を残し続けていると自負しています。

いずれにせよ勝負師にとって目標達成するといった最終結果をしっかり残したということは結果論とはいえ、素晴らしいことであり最高の結果であると誇ってよいものですね。

本当にプロ最高峰の選手たちの集まりとなる日本代表の皆様方にはおめでとうございますと述べておきたいと思います。

7連勝はそう簡単に出来ることではありません。

私など滅多にありませんから本当に凄いことだなあと強く思います。

勝負とは何か、そこで結果を残すということはどういうことなのか。

しっかりと勉強させていただきました。

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結果を出し続けるということ

結果を出し続けるということはとても難しいことです。

一過性の結果なら誰でも出せるのです。

それは1年で100万円を1億円にしましたといった人たちを眺めれば容易に分かりますね。

相場はそういうことを平気で起こしますので錯覚してしまう人も後を絶たないわけです。

自分でも同じことが出来てしまうのではないか?

そして実際出来てしまう人も少なからず生じてしまうので実際には出来ない数多くの人たちの存在を消してしまいます。

真理は結果を出し続けることが何よりも困難なのです。

一年で100万円を1億円にしたといった結果を出した投資家に本当にそこに客観的な再現性があるのならもう一年で1億円を100億円にしなければなりませんし、さらに一年で100億円を1兆円にしていなければならないのですが、そういう人は皆無ですね。

それはつまり再現性が無い、継続性が無い、たまたま宝くじに当たった偶然事象であるということになるわけです。

一過性の大成功は出来ても成功の継続はなかなか出来ないわけです。

私がこのブログの読者に求めていることは一過性の大成功ではなく、継続した成功です。

それも生涯に渡る継続した成功ですから非常に厳しい基本真理を反復することになります。

損切りはしなくて良いのか?

その観点から行くとどうしても損切りというものが重要性を増していきます。

上手く行く年もあれば上手く行かない年もありながらも最終的に上手く行けばよいという発想、つまり別の所得をお持ちの方々はプロの相場師ではないですから、損切りはしなくて良いと述べる方々も多いですね。

私もずっと自分自身が提唱している相場の基本三原則に関しては繰り返し疑いを持って検証し続けているのですが、今のところ損切せずに継続した成功をもたらすことが出来るやり方を発見することは出来ていません。

もう少し長いスパンであわよくば自分が死んでしまっても問題ない、相場で生活資金も稼ぐ必要はないやり方でやった場合は確かに損切りしなくても良いケースも生じてくるのですが、生涯に渡る継続した成功が出来ているということが大前提ですからこれを実現させるためにはどうしても損切りというものを避けることは出来ないのです。

損切りはしなくて良いのか?

その正答は即答できなければなりません。

基本独自性

最後までお読みいただきありがとうございました。

WBCはある意味では結果論であり、日本の優勝は必然ではなく米国が優勝していてもおかしくはなく、どの国が優勝してもおかしくはありません。

7連勝すれば優勝であり、いずれにせよ高勝率で勝てばよい短期決戦においては実のところその一事象のみ実現すればよいという意味では誰でも可能であるということなのです。

その中で結果を残せる確率が高い国とそうではない国との違いは何なのか?ということを考えたときに実際にメジャーリーガーは少ない日本代表がメジャーリーガーばかりの国々を打ちまかして優勝したという事実はとても学びになる事象だなあと考えています。

歴史や文化という一言で私は片づけましたが、歴史や文化と言ったときには多くの事象が複雑に絡まって複合的な要素として生じてきます。

その中で私が最大の要素として挙げたいのは基本独自性です。

相場においては損切りというものに関しての基本独自性を身に着けているかどうかといったところが鍵となると考えています。

この辺はまだまだ私も研究中です。

しかしいずれにせよいかに損切りするかといったものに対しての長い歴史文化といった側面を含んだ中での独自性というものの構築こそが継続した成功への秘訣だろうと見ております。

WBCにおける大谷選手の雄たけびを聞きながらこんなことを考えた私は野球きちがいである大谷選手に負けず劣らずの相場きちがいということなのでしょうね。

全く否定することなく私はやはり今日もなお長年考え続けてきてもなお今日も損切りのことばかりを考えている相場師です。

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