コロナは風邪と変わらない

徒然日記(相場以外の話題も)

コロナは風邪と変わらないというと素人が何を言うのか、全く違うと仰る専門家の方々も少なからずです。

実際医学的には確かに一般的な風邪と考えられているものとは異なるのでしょう。

詳細かつ具体的な違いは確かに素人の私には分かりませんが厳密には異なるという認識は素人でも出来るのです。

しかし昔から風邪は万病の元と言われ続けてきているように死に至るきっかけとなり得ることは誰でも知っているはずのことなのです。

そういう意味では新型コロナウイルスとやらも風邪と何も変わらないというのが私の主張なのですね。

別に感染したら最後確実に死に至るようなことはありませんし、致死率10%20%となるようななかなかの脅威となる疾病でもありません。風邪だって致死率0%ではありませんから一体全体他の無数のウイルス群による風邪の症状が出るものと新型コロナウイルスにどれほどの大きな違いがあるのかというところが大いなる疑問なわけです。緊急事態宣言を何度も全国拡大し続けて経済破壊をし国民の生活破壊をし続けてもなお余りあるほどのリスクのある風邪とは全く違う人類存亡上のリスクがあるのかどうか専門家の方々はそれをきっちりと提示して、なおかつ今行っている感染拡大阻止対策が実際に最善策なのか、実際に結果が出ているのか、そして結果が出ているならいつまでそれをやり続けるのかといったことを丁寧に説明しなければならないのですが、それが全く出来ていないということなのです。

私は新型コロナウイルスも他のウイルス同様に永遠に付き合い続けることになるウイルスだと最初から喝破しており、実際デルタ株だラムダ株だミュー株だなんだと次々と変異株が登場してきており、いずれは現在あるワクチンが効かない株も出てくることが予測され、それはすでに有名どころではインフルエンザウイルスによって証明されており、インフルエンザウイルスにおいてもワクチンもあり治療薬、といっても治療するというよりウイルスの増殖を抑えることしか出来ないものですが、そういったものがあってもなお変異し続けてもいるし感染もするし重症者も出るし死亡者も出続けているわけです。

この程度の事実は専門家の方々なら当然知っているはずのことなのですが、そんなことを全く知らないかのごときコロナパニック症のような発言をなさるのですから専門家とは名ばかりの人たちなのではないかと疑いの眼を持ってしまっても仕方がないのですね。

医学的に見ればコロナは風邪とは違うのでしょう。

しかし社会的に見ればコロナは風邪と何も変わらないのです。

この認識が出来ないとコロナ対応が完全に間違ってしまうと私は考えております。

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風邪を引いたら基本外出はしない

別に新型コロナウイルスではなくても風邪を引いたら仕事も休みますし学校も休みます。

当然家で安静にしているべきなのですね。

そしてその間、喉が痛いだとか、熱があるだとか、口内炎やらなにやら各種炎症が起きたりといった症状が大小出て2,3日苦しむわけです。

しかしときに人は無理をしてやむを得ない事情によって働かねばならない出かけなければならない、もしくは自分の欲望に負けて楽しみを得るために出かけてしまうということがあります。

そこは社会的には容認するしかないのですね。

ここを規制しようとすること、排除しようとすることはそれをするなら新型コロナウイルスに限らず、インフルエンザウイルスであっても、その他無数のウイルスであっても、そして風邪であっても強制隔離するような国家にしていかねばならないのですね。

何故ならどんな風邪も他人に移すリスクがあり、そういったちょっと風邪を引いた人が外出するだけでその原因となるウイルスその他をまき散らすからです。

そう、人間がコミュニケーションをして生きる動物である以上、決して不可能なことなのです。

もちろん新型コロナウイルス以外のウイルスによる風邪であっても無症状であればその本人は何も気づくことも無くまき散らすことになるわけですからそれを避けるためには今コロナのためにやっているように健常者と思われる自分であっても他人に移すリスクを避けるためにマスクをしなければならないということになります。要するに生まれてから死ぬまで永遠にマスクをし続けるということになります。

こちらはむしろ健康を害する恐れがありますから実際にはやるべきことではありません。マスクをし続けると息苦しくなるのは当然ながらあまりにマスクを継続的にし続けていると呼吸器に良くないということを意味しています。

しかしいずれにしても風邪を引いたら基本外出はしないというのが一般的な認識ではないでしょうか。

新型コロナウイルスに関しても本来この基本に忠実であればよいということになります。

必要なことは感染拡大阻止ではなく医療体制の確保

今回のコロナパニックにおいて必要なことは感染拡大阻止ではありません。

というより感染拡大阻止は経済破壊をし続けるだけで自殺者を増やすだけです。

実際経済苦による自殺、コミュニケーション不足による自殺といったものが増えてきていますね。

こういった感染拡大阻止政策きっかけによって亡くなった方々に対する対策はしないのでしょうかね?

コロナきっかけによる死だけを特別視する政策は不平等であり、ここに携わっている方々は命の差別をしていると自覚しなければなりません。

本来やるべきことはこんなくだらないことではなく、医療体制の確保なのです。

世界一の病床数を誇る日本で病床数が足りない原因は何なのかを突き詰めていけば容易に分かるのですが、結局割合的に多数の民間病院が安心して高負担無く風評被害なくコロナ患者を診られる状況にない故に多くの民間病院がコロナ患者受け入れをお断りせざるを得ないという現状にあるからなのですね。

本当にたったこれだけの話なのです。

ですから指定感染症指定を第五類扱いに変更して医療関係者の負担を下げるべきなのです。

それでも風評被害などは継続しますから受け入れない病院も出てくるとは思いますが、少なからずの民間病院はインフルエンザ同様の扱いになるならと受け入れることが出来る体制となって一部の医療関係者だけが四苦八苦することになる、病床数不足になるなどといったことは起こりにくくなっていくはずです。

故に医学的には確かに風邪とは違うのでしょうが、専門家の方々もそれをあえて大衆に提示して新型コロナウイルスのリスクを煽るのではなく、基本的には風邪と変わらないですから風邪対策と同様の対策をきっちりとしてくださいとだけ述べるべきなのですね。

そうしていくことで病院への風評被害も減っていくことでしょう。風邪を受け入れる病院なんて当たり前の話ですからコロナでもインフルエンザでも風邪をこじらせてしまったら病院に行くのが普通という認識になっていきます。

これがいわゆる私がいつも言っている新型コロナウイルスの社会的受容ということになります。

専門家の方々もぜひとも社会的安定のために協力して欲しいものです。

エンターテインメントの必要性

私も自分でピアノを弾くのが好きなのでよくわかるのですが、やはりCDで聞く音とコンサートホールで聴く音は全く違います。しかしこのご時世ですからコンサートに行くことは控えているのですが、しかし人間というものは忍耐強く我慢できる人もいれば我慢できずに爆発してしまう人もいるのですね。

そして爆発してしまうような人が誤った方向へと進まないようにエンターテインメントというものがあり、お笑いを見て笑ってストレス解消するだとか、フェスで大騒ぎをしてストレス発散するだとかいうことをするわけなのです。

それでなくても今回のコロナパニックで一年二年と我慢し続けてストレスを抱えている人たちは多く、ギスギスした社会になりつつある状況ですからそういったものの緩衝物として音楽などの芸術があるわけですね。

フェスなどでは恐らく感染拡大の一助にはなってしまうでしょうね。演者と一体となって音楽に合わせて熱狂することが醍醐味ですからこのこと自体を避けるならそもそもフェスに行く必要性が無いわけです。

今は我慢しなければならないということが合言葉になっていますが、しかしそれではこういった人たちを納得させることは出来ないのです。主催者側としても継続的にやり続けることで生きていけるという人たちも多数おりますからそれが長年中止となってしまったら皆他に職を探さなけけばならなくなります。

結局人は自分中心に物事を考えますから自分が働く必要が無い立場になるなら我慢し続ければいいということになりますし、自分が今日働けなければ死ぬしかないという立場であるなら何とかしてでもやらねばならないということになってしまいます。

私はここで考えるべきはやはり新型コロナウイルスというものへの正しい理解なのだろうと思います。

感染したら最後、圧倒的致死率で死んでしまうのか?

実際にそのような症例データとなっているならこういった人たちが路頭に迷っても仕方がないということになります。

何故なら人類存亡の危機であり、圧倒的感染力がありながら致死率も圧倒的なわけですから絶対感染阻止すべく国民総じて自宅待機するしかありません。経済破壊、経済停滞となってもしかたがないまさに緊急事態です。

しかし事実はやはりほとんどの人たちは感染しても無症状、軽症、そしてまず死なないということになるなら何故エンターテインメントを興行してはならないのかということになっても仕方がないのです。

命はどんなに僅かな命でも大事ですが、そういうことを言い出すと毎年交通事故死者が出続けて命が奪われ続けているのに何故車に皆平気で乗っているのかということになるのです。

残念ながら何をしてもしなくても死ぬ人は死ぬし今回それ自分である確率は誰にでもあります。

音楽というものは確かに一般生活上不要な人たちも少なからずなのかもしれませんが、絶対必須の人もいるし、命よりも大事というような人もいるのですね。

私は自分が音楽のある生活をしているからなのかもしれませんが、フェスをすることやコンサートをすることも当然出来る限りの感染対策を施した上で継続してやっていくべきであると考えています。

日々確率的思考で生きる私は常に確率で物事を捉えますのでどうしてもこの新型コロナウイルスに圧倒的脅威を感じられません。

一定のリスクがあることはもちろん認識していますが、緊急事態宣言を出して飲食店を営業自粛にするだとかエンターテインメントを興行するのを避けて欲しいとすることはやり過ぎのように思えてしまうのです。

医療従事者に迷惑かけるなと言うのですが、その問題は前述したように医療体制の問題であり、民間病院も気軽に対処できるようにすれば分散するはずなのです。

もちろん私同様他人様に移してはならぬとしてコンサートに行くのを我慢するのが普通なのかもしれませんが、いつまでも我慢できない人はいて、私などよりずっと音楽に人生を賭けている人はいて、それで生活している人もおり、それで癒されて発散されて生きられている人もおり、そういう人たちに抑制を長期間強いるほどに新型コロナウイルスはリスクの高い疾病だとはとても思えないのですね。

こういうコロナパニック状態の中で批判を恐れずあえてエンターテインメントの必要性というものを述べておきたいと思います。

人生命だけではなく、命より大事なものとして命を懸けて芸事に取り組んでいる、楽しみたい人もいるということですね。

必ずしも命が最も大事ではない

最後までお読みいただきありがとうございました。

コロナは風邪と変わらないと題して随分と過激な主張をしてしまいましたね。

もちろん私の私見に過ぎぬことですからこれを読んであなたも改めて自分の考えを整理しなおしてみて欲しいのです。

そのうえで大事な点がいくつかありますのでここでまとめておきましょう。

まず、何をしてもしなくても人はいずれ死ぬということです。

コロナきっかけかもしれませんし、インフルエンザきっかけかもしれませんし、風邪をこじらせて肺炎になって死亡なんて日常茶飯事で起こっていることです。

交通事故などの不慮の事故で一瞬で死亡する人も老若男女あらゆる世代で今日も誰かに起こり続けています。

今は我慢しようと言いますが、コロナの変異株は次々と出てきており、その感染拡大阻止のために自制することの効用はほとんど無意味なところにまで至ってしまっています。そう、やるなら世界中の全国民を互いのコミュニケーション一切シャットアウトして永遠に隔離しない限り、感染ゼロは不可能なのです。

人は誰しも何らかがきっかけで確実に死ぬことになるという当たり前の話をもう一度改めて一人一人考え直す時に来ています。

次にいつまで緊急事態宣言を繰り返すのかということですね。

コロナ変異株は次々と新種が現れていくのはもう最初から分かっていた話で逐一名前を付けて大騒ぎしても全く意味がありません。自己反省なき煽り屋であるマスメディアは盛んに煽り立てて社会不安を助長させていますが、こんなことはコロナウイルスに限った話ではなく、過去インフルエンザウイルスで起こり続けてきたことであり、しかしこちらではパニック報道などもせずにいたのは何故なのか?といった話もありますが、いずれにせよ現状の状況だと感染拡大したり鎮静化したりを永遠に繰り返していくのがウイルスと人間とのお付き合いの歴史ですから永遠に緊急事態宣言を出したり引っ込めたりを続けるということが確定してしまっています。

これはただただ国家として衰退するだけではないでしょうかね。

我々一人一人の生活が疲弊し続けるだけではないですかね。

そもそもあなたは死ぬまでずっとコロナ感染拡大阻止のために我慢し続けることが出来ますか?

今問われていることは新型コロナウイルス感染拡大阻止のためにあなたは自分の人生、生活を投げ捨てて生きられますか?ということなのです。

最後に命より大事なものはあると考える人はいるということです。

私も多分にその意気がありますね。

今日も命を賭して相場を張っていますからね。

相場師は幸い新型コロナウイルス感染リスクを犯して相場を張るというようなことがないですから今回は全く関係ない話となりますが、仮に何らかのリスクがあって相場を張ることで命を失うリスクがあっても私は相場を張りたいと思うということです。

命をただただ長くすればそれをすることが最も大事とは限らないということですね。

限りある命の中でよりよく生きる、時に小さからずの命燃え尽きるリスクを冒しても挑戦することに意味を見出す、命より大事なものがあるという想いでそこに打ち込む人もいるということです。

一般認識では相場師は金儲けをしている連中といったような認識でしょうが、実際相場師である私翁は金儲けなど眼中になく、真剣に相場を張ってよりよき仕事をした結果もたらされる副産物として金儲けとなるという感覚で取り組んでおり、その自己実現の追及は命より大事なものとなりますね。

あなたには命より大事なものはないですか?

もう一度改めて考え直してみて欲しいのです。

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