強者はますます強者となる

独活日記(相場を生き抜くために)

市場原理主義というものを推進していくと最終的にはこの表題のような時代になっていきます。

富める者がますます富み貧するものがますます貧する時代、それはグローバリズムに蔓延してしまった米国を代表とした多くの国々で、日本でも毒されつつある主義ですね。

もっと庶民の段階に落とすなら株をやれるような人たちだけがますます富み、株などやっている暇などない人たちがますます貧する時代ということになります。

この圧倒的強者とその他多数の弱者という構図を著しくし続ける市場原理主義の弊害はどこかで止めなければならない社会的害悪であり、そういった主張を述べる人たちは常に弱者というものを無視した人間性ですので批判し続けなければならない対象です。

今日はこのことを考えてみましょう。

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相場は市場原理主義世界の縮図である

私が常にこのことに関心がある最大の理由は相場がまさに市場原理主義を体現した世界だからです。

相場では常に弱肉強食です。

圧倒的資金の持ち主が買いだとする銘柄は基本上がるしかない銘柄なのです。

直近では前回述べた米国圧倒的No1の地位に上り詰めようとしている有名銘柄などがそうですね。

こういう圧倒的強者とその他多数といった構図に市場原理主義というものを追求すると行き付くのです。

相場の世界はまあ多くの人たちには生涯無縁となる世界ですから実験市場として市場原理主義世界というものを構築しても問題ない、というよりそうならざるを得ない厳しい世界なのですが、これを一般社会に持ち込むと悲惨な時代になっていくというのが本質です。

従ってこれを一般社会に持ち込もうとしている連中は徹底的に叩き潰さなければならないわけですし、実際には市場原理主義など悲惨な時代を生むだけだとしている良識ある世界の人たちがグローバリストたちと必死で戦い続けているわけですね。トランプ元大統領などもその代表的な人物の一人ですが、故にどんな政策思想かということを取り上げることなく個人的な人格攻撃にグローバル資本が牛耳るマスメディアによって徹底的に貶められようとしていますね。彼の政策批判ではないのです。彼の人格批判であり、イメージ落とし戦略なのです。政治は権力争いですからこの戦略自体は仕方ないことであるし、当然敵としてはやるのは理解しなければならないのですが、いずれにせよこういった勢力が行っていることは自分たちだけがさらなる強者となればよいといった思想ですから困ったものなのですね。

相場ではそれが真理の一つですから非常に市場原理主義というものにマッチして結局利益を出し続けたものだけが生き残り続け、収益を強大化し続けたものだけが株価を上げ続けるわけです。

これは人間社会という意味では悲惨な時代なのです。

人間は弱いし間違えるし差もある

人間は様々な人がいる多様な種です。

努力する者もいれば努力しない者もいるし、こういう考えを持つ者もいればああいう考えを持つ者もいます。生まれつきの才能や環境に恵まれた者もいれば、現時代においては才能が発揮出来ない環境に恵まれていない者もいます。

ですがそれでも同じ時代に生まれた以上、互いに助け合いながら生きていこうというのが反市場原理主義となる共生思想です。

この思想は常に人間は弱いし間違えるし差もあるということを認めるところから始まります。

これを言うと市場原理主義者たちはどんな環境で育ったとしても自分の努力次第で何とでもなるのだから努力が足りないとか言い始めるわけですね。

いやまあ個人的感情としては超極貧幼少時代を過ごした中から最終的に相場師としてのし上がったので一理あると思うわけですが、それでもやはりこれを社会に適用させては決していけないのです。

どうあってもそれが出来ぬ人たちはいるし、しかしそういう人たちも生きていかねばならず、救う必要があるのです。

そのために国家というものがあり社会というものがあるわけですね。

しかし市場原理主義のグローバリストたちは国境なき世界、つまり国家の統制のない自由な社会こそが理想としていますからこの国家というものを否定する、無駄だ効率が悪い、生産性がない金にならないとして徹底批判するわけですね。

ここには人間と言うものがなく自分は人間を超越した神かのごとき傲慢性が見えるわけです。

実際にはこういう人たちもちっぽけないつでも死ぬ人間でしかないのですが、いずれにせよ人間というものは誰しもが弱い存在であるということを理解することがまず大切となります。

相場は常に強者一択

相場を張る上で思考転換しなければならないことはこういうことなのです。

こっちの銘柄は同業他社で出遅れているから連想的に買われるのではないだろうか?

このようなことを考えてしまう人たちがほとんどなのです。

従ってレポート屋などに翻弄されてしまうわけですね。

そうではなく誰が見てもこの銘柄強いねとわかるレポート屋など必要ない銘柄をもう十分に株価が高いように見えていても買えば良いのです。

相場は常に強者一択です。

その他多数の連想的な動きはもちろんあり得ますが最強銘柄より実際のところパフォーマンスは高くありません。

なぜかと言えばそれはあくまで先導株となる誰でも分かる最強銘柄が最強であり続ける限り連動する程度の魅力しかない最強ではない銘柄群だからです。

残念ながら同じことをやっていてもその能力差は圧倒的なのです。

最強が圧倒的能力を有しているのが当然でありそれが最高評価されるのが当然なのです。

従ってそれが崩れればその他多数連動していた銘柄群も崩れる故に出遅れを狙うこと自体が意味のない話なのですね。

相場は常に強者一択であるということを強く認識してください。

あなただけが見つけられるお宝銘柄などないのです。

誰もが確かに凄い企業だねというところに相場で圧倒的に稼ぎ続けることが出来るお宝が眠っています。

強者はますます強者となる

最後までお読みいただきありがとうございました。

相場と社会は別物でなければなりません。

相場は完全自由な世界ですから弱肉強食の市場原理主義でありその最終的な到達点は圧倒的強者とその他多数の弱者という構図になります。

しかし社会においてはそういった時代形成をしてはならず、いわゆるMAMANに所属できるかどうかでその後の人生が圧倒的に変わってしまうといったような大差を付けてはいけないのです。もちろんある程度の差はあって良いのですが、それでもそれぞれが人間的に生き続けることが出来る、どちらも差はあっても圧倒的差ではないと互いに思えるほどの人間性を保持できる社会というものの形成が大事であり、それは共生社会でしかないわけですね。

他人を思いやる気持ちがない富者はどれほど富んでいても人相は非常に悪くなります。

私も多くの富者と呼ばれている人たちとお付き合いがありますので分かるのです。

なぜか人相が本当に貧しくなっていくのが見えるのです。

まあ有名人などのように金をかけて整形などをして取り繕うことは可能なのですが、しかしやはり年月を重ねていくことでその本性というものを隠し切れずに顔に出てしまうというのが実態のようですね。

顔の作りの美醜のことではないですよ。

絶世の美しさとなるような比率で顔が構成されていても何かこの人は胡散臭いというような人相の人もいますし、酷い顔の作りなのだけどどこか憎めない、慈愛があるというような人相の人もいるのです。

本当に面白いものです。

相場における圧倒的強者、それはすでに十分高く評価されており行き過ぎ感、買いづらさ感を多くの投資家たちは感じてしまうのです。そして関連銘柄と称して提供する相場レポート屋に翻弄されて値ごろ感あるまだ動いていない二番煎じ三番煎じに手を出してしまうのです。

見た目に騙される人が多い典型例ですね。

しかし結果は強者はますます強者となる。

これが真理です。

相場はいつもシンプルに考えることが大切です。

誰もが知っている誰もが評価しているもうすでに高評価されているからといってそれがさらに圧倒的高評価されないということは決まっていないのですね。

相場は何事も起こり得る。

強者は強者だからこそすべてにおいて強者でありそれは継続する確率が高いのです。

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