諦めるということ

独活日記(相場を生き抜くために)

人は時に諦めなければならない瞬間があります。

片想いの人がいて、いかにその人に恋い焦がれていようとも肝心の相手が自分のことを想ってくれない両想いにならない状況が続いた場合、諦めるということを決断しなければなりません。

決して諦めずにこだわり続けた場合、最悪ストーカーとして逮捕されてしまうリスクも大きくなります。

相場でも諦めるということは大事です。

ただ諦めてはいけないこともあります。

恋愛などではお互い好感しない限り無理ということで諦めが肝心な場合もありますが、相場ではさっさと諦めるべきときもあれば決して諦めるべきではないこともあります。

今日はこのことを考えてみたいと思います。

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人間の三大性が諦めることを阻害する

人間が持つどうしようもない三大性として自己顕示欲、自己正当化、承認欲求というものがあります。

とにかく自分が絶対的に正しいとして自己主張をしてそれを過剰にも露出させようとし、正当化しようとし、他人から認められたい称賛されたいという思いを持ってしまうのです。

このあたりが人は一人では生きられないという考えを批判できない根本的な主因なのでしょう。

相場師としての私はこういったものが何もありませんので、私がどれほど相場で稼いでいるだとか、こんな取引をして儲けていると公開したりだとか、増殖し続ける資産推移を日々示して他人の注目、称賛を集めたいといったようなことは一切していません。

それでも相場のことを自己主張すべくブログを定期的に書いているという段階で人間としては三大性から免れた解脱した覚醒者ではないということなのでしょうね。

いずれにせよこの人間の性たちが相場で諦めるべきときに諦めきれぬ自分を形成してしまうのです。

ですからこれらの人間の性を懇切丁寧に分析していかねばなりません。

相場における自己顕示欲

自己顕示欲というものは「自分を目立たせることで、周囲の人から注目されたいという欲求」と辞書的な意味においては説明されています。

相場においては自分はこんな銘柄を手掛けていて自分はこんなに稼いでいる、どうだ凄いだろうと積極的に示すことでマスメディアからブログやツイッターYouTube等々で無数の人たちが自己顕示欲で持って喧伝していますね。

しかしプロの相場師という立場から述べさせていただくとこういった人たちは相場をよりよく張るというよりも自己顕示欲を満たすために相場を張っていると言わざるを得ません。

プロの相場師がどんな相場付きであれ最低限の仕事をするのは当然なのです。

私のような凡人相場師であってもプロである限り何十年も例外の年なく、つまりどんな相場付きの時代であっても利益を出し続けているというのは当たり前のことなのです。

従ってこういったことをして自己顕示欲を満たそうとしている時点で小さい人間だなという印象しか抱きませんし、そもそもいくら稼いでいるだとか述べる人に対しては個人的には卑しさしか感じません。

いずれにせよこういったものは適切な売買を継続するということを阻害します。

何故かと言いますと自己顕示欲によって自分を過剰にも目立たせた結果として他者からの注目をされたことによってその主張を曲げることが難しい環境に身を置くことになってしまうからです。

主張を変えた場合に話が違うじゃないかと批判をされるリスクが生じることにもなりますし、相場を適切に張り続ける上でこういった行為は百害あって一利なしなのです。

相場における自己正当化

そして自己顕示欲によってもたらされた自己主張が確固たる正当性を示しているということにこだわっていきます。

これが自己正当化です。

人間としては自己正当化するということは自己防衛本能から来るものでもあります。

自分はこう考えていてそれは絶対的に正しいものなのだと考えることで自分というものの存在価値を満たそうとする人がいることは否定しませんし、それは人間としては法律に反しない限り許容すべき事由だと私は考えます。

しかし相場ではもうこのブログでも何度も登場している言葉であり、様々な角度から説明しておりますが、厳しい結果をもたらすリスクが非常に高くなってしまいます。

それは含み損がどんどん拡大し続けているのに私の選んだ銘柄は素晴らしい銘柄なんだ、もっと割安になっているのだから難平を繰り返せば良いのだ、いつか株価も上がってくるはずだ、人の行く裏に道あり花の山だとして自分の考えにこだわり続ける自己正当化をしてしまっている塩漬け投資家を見れば分かりますね。

もちろん現在のような全体相場が10数年以上長期上昇トレンドが継続している段階においては実際救われている投資家も少なからずなのですが、永遠の長期上昇トレンド継続となることは長い相場の歴史を見るとあり得ませんのでそういった人も確実に最終的自己破綻が待っているリスクが高いわけです。

プロの相場師の一人として見るとリスク管理は必須であり、何事も起こり得る相場においてこのようなハイリスクを無意識的にもやってしまうことになる自己正当化というものは何としても避けなければならない人間の性ということになります。

相場における承認欲求

そして最後に承認欲求というものがありますね。

これは人間が社会を形成しそこで自分を確立して生きる上でとても大切なものではあるのです。

有名人などは総じてこの承認欲求が強い方々が多いですね。

自分がやってきたことで成功を収めていてお金はたくさん稼いでいて当然自分に自信は持っていますからもう後は自分以外の他者から認められたい、他者承認欲求を満たしたいという思いを自己満足が満たされている人ほど大きく強くなっていくことが多いです。

相場では億り人になった人たちがその範疇に入りますかね。

若くして相場で億円代に自己資産を膨らましたことは現在の相場環境のお陰があるにしても誰でも出来ることではありませんので凄いことなのですが、それだけでは満足できずにマスコミに露出して他者から凄いと言われたいという想いを強くしてしまっている人たちということです。

人間としてはこれが当然の性ですから理解出来るわけですがプロの相場師としてはそういうのは相場の素人である相場評論家たちに任せておけばよいのでは?というのが個人的な意見ですね。

相場師というのは相場を語るのが仕事ではなく相場を張るのが仕事です。

億円程度のレベルで他者承認欲求を求めだすというのはお粗末なのです。

相場師の最高峰は兆円レベルなんですよ。

せめてそこまで達してから相場評論家に転職するなり、副業するなりしませんかということですね。

私は他者承認欲求はありませんのでただただ一介の匿名のプロの相場師であり続けます。

しかし自己承認欲求はふんだんにありますので未だバフェットを超える自己資産となるようにとにかく相場をよりよく張ることに集中し続けたいと思っています。

相場における承認欲求は常に他者承認欲求ではなく自己承認欲求を満たそうとすることに集中することが大事です。

諦めの境地

最後までお読みいただきありがとうございました。

今日は人間の三大性を取り上げていかに諦めるかということを考えてきました。

すべては相場を適切に張り続けること、自分の考えではなく市場の考えにいかに従い続けるかと言う相場の真理を実践継続するためなのですがこの三大性からいかに逃れて相場を張るかということが大事であるということになります。

そして持つべきは自己承認欲求なのです。

こちらは決して諦めずに思い続けるべき欲求です。

唯一無二の世界最高峰の選手となった二刀流大谷選手ですが今日もなおさらなる向上心で持って自己承認欲求を満たすためによりよく野球をプレーすることに邁進していますね。

そういった自己姿勢がどんな分野の世界においても最も健全で適切な欲求なのです。

それは裏返すと諦めの境地に達しているということでもあります。

この三大性に陥る最大の要因は常に対象が他者にあるということです。

相場は結果としての目的はどこまで行っても自己資産増殖です。

非常に個人的な領域なのです。

ですから自己承認欲求のみが非常に適合する人間の性となるわけですね。

他者というものを諦める

この精神が相場師としてよりよく相場を張るための必須事項なのです。

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